2011年8月1日月曜日

お久しぶり

りんごの花もとうの昔に散ってしまいました。

結局、6月末には博論を出せませんでした。
出す出すと言ってなかなか出さない狼少年ならぬ「狼おばさん」になっています<泣>。
次回の期限、10月末を目指します。

さて、季節を更新するためにこれまでに見たお花をアップします。



6月半ば頃のルピナス
7月の結婚記念日近くに1日オフにして石狩へハマナスを見に行った。
海岸のすぐ近くに自生しているハマナス、
強い風を避けるように地面に這うようにして咲いている

7月の3連休は学会報告のため京都へ
札幌に戻ってきてから東海大学札幌キャンパスに
ラベンダーを見に行った。
ここ、札幌市南区大沢は、日本で初めてラベンダー栽培に成功したところだそうです

1週間前の日曜日に久しぶりに百合が原公園へ。
カッパさんは一人でときどき週末ぶらっと遊びに来てたそうだ。
百合の群生を眺めながら走る、その名もLily train!

そして私たちのお気に入りは百合を眺めながら食べるHotto Mottoの海苔弁です。

こんな百合の花のような垢抜けた美しい人がいるような気がする

2011年5月31日火曜日

りんごの花


5月末になると花を咲かせるりんごの木。
北大の遠友学舎脇にあるこの木は、1年でもっともよい季節の一幕を可憐に見せてくれる。

6月末まであと1ヶ月ーーーーー

2011年5月6日金曜日

ドナドナ

前回のブログの最後に、福島の子どもたちが北海道に来れば新鮮な牛乳が飲めると書いたが、北大農場の牛乳にも本当に微量だが、放射能が入ってしまった。日本中どこも時間の問題だからもうがっくりともこない。
ところで、福島第一原発の20キロ圏外にいる牛2万頭あまりの避難先として、北海道が有力候補に上がっているという。

原発避難牛、農水省受け入れ要請 「道内が有力候補」
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/agriculture/287735.html

今朝、道庁の畜産振興科に電話して聞いた内容を以下にメモしておく。(道庁tel: 011-231-4111)
お話したのは酪農グループの林さん、声をお聞きした感じではお若いが、とても丁寧に対応してくれた。

・道新の内容は可能性があるだけで、まだ決まったわけではない。

・現在は福島県が、各牧場に問い合わせをしている段階で、道として何かしているわけではない。農水省は、情報の仲立ちという形で、牧場の情報を福島県に伝えている。受け入れを決定するのは牧場なので、道としてどうこう言えるわけではない。

・もし牛が北海道に移動することに決まった場合、その事実は公開する。ただ、どの程度情報を公開するかは(受け入れ先牧場名や頭数など)は、何も決まっていない。

・20キロ圏外の2万頭のうち、乳牛は1800頭、残りは肉牛。特に、飯館村は飯館牛という肉牛で有名。

・対象となる肉牛は、繁殖用の子牛、雌牛などで、それがすぐに食用になるわけではない。何年か後に子牛を生んで、それが食用になると考えられる。

・道も受け入れは慎重にしたほうがよいという立場(さっき言ってた牧場が決めて道は関与しないという言葉と矛盾してる)。

・JAあしょろで受け入れるのは育成牛といって子牛を数ヶ月間受け入れて、育成して種付けしてからまた福島へ返すというパターン。それが道産として出回るわけではないとのこと。

わかったようなわからないような回答ですが、私は、牛や農家のことを思うと受け入れたい気持ちはわかるが、とりわけ乳牛は、避けるべきだ、牛乳は子どもの摂取量が多いし、給食でも使われる。基準値以下でも影響は大きい。また、牛乳はバターやチーズなどの乳製品、菓子など用途が広い。汚染は薄めればよいというものではない、道産品の安全を守るために道として音頭をとってほしい、と申し上げたら林さんは、「わかりました!」とおっしゃっていました。

やはり、こういうのは質問状や要求書などで文書でやり取りしたほうがよいですね。今それやってる時間は今はないので、電話で伝えるだけだけど。でも、広域流通が発達している現在、汚染をある程度のところで打ちとめる努力は必要だけど、何に何が入っているか、全部検査することは実質不可能に近いです。もうこうなった以上放射能との共存は覚悟しているんですが(というか、すでに食べているし)、それでもできることを先手先手でやっておきたいのです。

私のような放射能ヒステリーっつうか、食品の汚染を何ベクレルって気にする人は、チェルノブイリ後のヨーロッパでもいて、そうした人たちのことを揶揄して「ベクレル派」と呼んだそうです。チェルノブイリ後の日本でも、食品の放射能測定する市民グループができたそうですが、そういう動きを、京大原子炉実験所の小出裕章さんは「チェルノブイリ後の日本では370ベクレル/kgという基準を設定して、それ以上の汚染を水際で食い止めることにはある程度成功した。しかし、日本が戻した汚染食品が、測定体制を持たない第3世界の貧しい人々に渡ったことを忘れてはならない。日本は汚染されたものを拒否すべきではない」と批判しています。小出さんは「自分さえよければそれでよいのか?」と鋭い問題提起をしているわけで、それは今回の原発事故にも当てはまることでしょう。

これに対し、高木仁三郎さんは、「チェルノブイリ後の、タイやフィリピンなどの東南アジア諸国は日本よりもずっと低い規制値を設定した。途上国の人々は、拒絶する意識も能力も十分でないという前提は、日本人の傲慢ではないのか。それに、東南アジア諸国は、EUから「日本もこれくらいの規制値なんだから、もっと規制を緩めよ」というように圧力をかけられたという。途上国であっても厳しい規制を守ろうとする人々のことを考えれば、日本でもより厳しい規制を追及することが求められているのでは」と批判しています。また、渡辺美紀子さんも「他の国々の動きと連携し、安全でないものを食べることを、それぞれがきちんと拒否する基本的態度を貫き、そのことが世界中の人々にとって保障されるような運動をつくっていきたい」と述べています。

私が今回の件で、一番難しいと感じているのは、チェルノブイリのときは、よその国で起こった事件で、汚染食品は多くの場合が輸入品、すなわち生産者はよその国にいたので、ある意味避ければよいだけだったので気楽だった。しかし、今回は自国で事故が起こり、生産者が間近にいるため、食べるか食べないか、どの程度の汚染なら許容するかという話をすること自体が、被災地への懸念や経済的な打撃への懸念から、喧々諤々と議論することが難しくなっている雰囲気があること、また、それなりに良心的と思っていた生協なども実は、事業への影響の懸念か、動きが遅いこと。やっぱ、自分の利害が絡んでくるとなると、人間誰でも動きが鈍くなるわな・・・。

こうした状況の中で、消費者がどこまで許容して、自分たちを守っていくかという問題は、他人任せにはできず、自分でやるしかない。私は、汚染の少ないものを食べたい、人より安全なものを食べたいという人間は、それなりの責任が生じると考えている。それは、生産者を守る運動であったり、原発を停止して代替エネルギーを自分で作っていくという運動に積極的にかかわっていくこと、それができないのだったら「自分は汚染の少ないものを」と言う資格がない(恐らく今までもきっとそうだったのだろう、私にはその自覚がなかった)。そもそも、放射能に限らず、消費者運動の原動力は「安全なものを食べたい」というものなんだろうけれど、「自分さえよければそれでよいのか」「より汚染されたものを食べざるを得ない人々のことをどう考えるのか」という問題は、宿命的に付きまとうもの。このもっとも根本的なことをどう考えるのかを今問われているのだと思う。

・・・って私の博論のテーマは「ベトナムの安全野菜と合作社」なんだけど、それ「原発事故による日本の安全野菜と消費者運動への影響」に変えたほうがよいかねえ?

2011年4月30日土曜日

もう朝日はイヤ!

原発事故や放射線の人体への影響に関する朝日新聞の記事がひどすぎて、私はこのところ朝日新聞を読んでは腹を立てている。購読をやめたいが、カッパさんに聞いたらすでに来年まで契約しているって!!

今日は、原発事故後に内閣官房参与に採用された東大教授の小佐古敏荘氏の辞任記事が朝日の夕刊の一面に載っていたが、小佐古氏の主張にはあまり触れずに政府の言い訳にばかり焦点を当てて内紛で困ってるというような記事に見せかけていた。日経の取り上げ方の方が小佐古氏の主張(福島の小学生に年間20ミリシーベルトの被ばくを許しているが、国内の放射線業務に従事する者でもそんなに被ばくする人はきわめて少ない、自分の子どもにはそんなことは容認できない)に焦点を当てていてまだよかった。そしてNHKは小佐古氏の会見全文をネット上で公開した。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html

こういうきちんとした学者が内部にいるのに、それでも変えられないっていうのは一体どういういこと?

福島の子どもたちを北海道に呼べないかねえ。
「避難」という後ろ向きの響きではなく、これから迎える北海道でもっともすばらしい季節を楽しむために1シーズンでいいから来てほしい。新鮮な牛乳もたくさん飲めるし、原っぱで遊ぶこともできるよ!

2011年4月23日土曜日

理想の上司

今、私の理想の上司はソフトバンクの孫正義さん、そして城南信用金庫の吉原毅理事長です。

<孫正義>原発問題について熱く語る
孫さん少し甲高い声で熱く原発について語る姿が格好いいです!
原発に関する国民投票ぜひやりましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=cqiqkr9JKsE

城南信用金庫「原発に頼らない安全な社会へ
「我々のような普通の人間、普通の企業が原発について発言し、今後のエネルギーについてできることをやっていくことが大切だと考えた」
http://www.youtube.com/watch?v=CeUoVA1Cn-A

私たちは皆、反原発運動家になれるわけではないし原発問題に関してそんなに時間を割けるわけでもない。だけれども「普通」の人間だからこそできることがあるって城南信用金庫が教えてくれた。私ほとんど貯金持ってないけど、城南信用金庫にお金預けたいなぁ。

2011年4月22日金曜日

鮭とブロッコリーのクリームパスタ

鮭とブロッコリーのクリームパスタ


(ダブルクリックすると大きくなります)


win min tanさんのリクエストに応えて(よくぞ聞いてくださいました)レシピをどうぞ。


<材料>3人前


パスタ200グラム


生鮭1切れ


たまねぎ2分の1個


ブロッコリー2分の1個


水2カップ


塩小さじ3分の2、コショウ少々


生クリーム2分の1カップ


<作り方>


1.ブロッコリーは小房に分ける。茎は皮の硬い部分を包丁ではがすようにむいて1センチの角切りにする。たまねぎは縦に薄切りにする。


2.深さのある片手鍋にペンネを居れ、上に玉ねぎとブロッコリーを置く。表面の水気をふいた生鮭をのせて、塩とコショウをパラパラとふって水を注ぐ。菜ばしをペンネとペンネの間に差し込むようにして全体に水をまわす。


3.鍋にふたをして強めの中火にかける。煮立ったら火を弱め、ペンネのゆで時間の分だけ加熱する。時々鮭を崩さないように鍋の中を混ぜる。


4.ペンネの芯まで火が通って軟らかくなったのを確認したら一度火を止める。鮭の皮と骨を取り除いてから、生クリームを加える。


5.もう一度火にかけ、へらで全体を混ぜながら生クリームが温まるまで加熱する。熱しすぎるとクリームが油っぽくなるので注意。ブロッコリーが細かく崩れ、鮭とともにペンネに絡むようになったら塩で味を調えてできあがり。


鍋一つでパスタと具を一緒に作ってしまうという合理的なレシピ☆こういうの大好きです。


(ただ、ペンネだったら鍋1つでよいけど、私はスパゲッティで作ったので、スパゲッティを別にゆでて、具はフライパンで作って後からパスタを混ぜました。)最近作ったパスタの中で一番気に入りました。


2011年3月31日木曜日

震災で変わったこと変わらないこと

今日で3月も最後。この3月は何だったんだろう・・・今も朝起きるたびに「全ては夢で現実の世界は原発事故とか地震とか津波とかなかったんだ、あー元の世界に戻れてよかった。ほっ」てなれないかなあと念じてしまいます。

とはいえ、北海道に住む私たちは表面上は震災前と変わらぬ生活ができている。停電はなく、スーパーに行けば豊富に物はあるし、料理にミネラルウォーターを使うことも今のところはない。私は朝起きると窓をあけて西に連なる山々に目をやり、おいしい空気を吸い込む。朝ごはんを食べお弁当を持って自転車で北大図書館へ行き、帰って夕飯を作って食べてお風呂に入って寝る。生ごみが出れば段ピー君(ダンボールコンポスト)に食べさせ、カッパさんは北側の部屋の壁についたかびを一生懸命取っている。雪が溶けて暖かくなってきたので、冬の間部屋干ししていた洗濯物も外に干せるようになった。3日に一度の洗濯、1週間に一度の部屋の掃除のルーティーンも変わらず。震災が起こったからといって、博論を提出するという課題は変わることはなく(というか、刻々と時間は少なくなりつつあるので課題は日増しにより大きな課題として迫ってきている)、博論後にやりたい仕事やその後の生活についての希望も変わることはない。私たちが一生札幌で暮らすのか、いつかどこか別の土地に移るのかは今の時点ではわからないが、これからも私はカッパさんと離婚しない限りカッパさんと暮らしていくだろう。

一方震災によって大きく変わったこともある。これまで料理本を夜寝る前に読んだり、明日は何を作ろうかと料理のことを考えるのが楽しみだったが、今は料理のことを考えるのが悲しく、料理をする意欲が萎えてしまった。スーパーに1週間に2回くらい図書館の帰りに寄るのもよい気晴らしだったが、今はスーパーに並ぶ野菜や魚たちに疑いのまなざしを投げかけて選別してしまうのが悲しい。カッパさんも「これまでは値段を第一に見ていたが今は産地を一番に見てしまう。九州産が輝いて見える」と言っていた。これが消費者の偽ざる気持ちではないだろうか。風評被害だと責める声をよく聞くが、実際に放射性物質が降っているのだから、根も葉もある事実である。それと同時に、これまで当たり前のように日々手にとって口にする野菜や魚にどんなに大きなエネルギーをもらっていたのかと改めて思う。

これまで石油ファンヒーターなどすぐにいろんなもののコンセントを抜くカッパさんを、私は「カッパさんはすぐにコンセントを抜く」と文句を言っていたが、震災後は、自分から積極的に抜くようになった。私がベトナムに行ったりしてカッパさんが一人暮らしをすると電気代やガス代はわずか(ガス代なんて私がいるときの10分の1!)だが、私と一緒に暮らすと電気代もガス代も跳ね上がる。湯水のようにエネルギーを使う自分には反原発を言う資格がないのだということを原発事故が起こって数日後これまでの光熱費の領収書をまとめながら考えた。北海道では電力の約4割を原発に依存している。札幌から65キロ離れた泊原発は、2年前に訪れた積丹半島の西側の付け根に位置する。北電は昨日、2012年に始動予定のプルサーマル計画に変更なしと発表した。

原発事故が起こってから1週間くらいは下痢や不眠、食欲不振に悩まされたが、それはこれまで電気をのうのうと使いながら原発の問題に目を背けていた都会人の原発アレルギーそのものだったなと思う。原発事故の可能性は前から指摘されていたし、具体的にシミュレーションしてくれていた人たちもいたし、原発そのものが恒常的にヒバクシャを生み出すものであることを数少なくない本が指摘してくれていた。問題はずっとそこにあったものなのだが、私には見えなかったというより見ようとしなかったということなのだろう。そして今この瞬間にもこちらは変わらぬ生活を送りながら、福島原発でヒバクする人を生み出しているという重すぎる事実を、同じ時代に生を受けている人間としてどう受け止めればよいのか、「感謝」「尊敬」「敬意を表する」「誇りに思う」どれも違う気がして、私には正直なところよくわからない。

昨日夜ご飯を食べながらカッパさんに「カッパさんは明日でこの世が終わるとわかっていても、変わらず過ごしそうだね」と話しかけたらカッパさんも「そうだね」と言っていた。カッパさんは、もし明日でこの世が終わりと知っていても、きっとおコメをといでたっぷり浸水させて音楽を聴きながらフムフムうなずきながらご飯をばくばく食べるだろう。ズボンの下にズボン下3枚くらい重ねて雪だるまのように着膨れしながらカビを拭いたり炊いたご飯をラップに包んだりしているだろう。カッパさんが「どうしてこんなことになってしまったんだろう」なんて言葉をつぶやいても、どこかのんきで重大さが伝わってこなくてユーモラスですらある。そういえば、仙台にいるカッパさんのお母さんも、決して嘆いたりすることなく淡々と過ごしていそうだ。

震災前と震災後で何がどのように変わったかと考えてみたらこのようにいえそう。自分の課題や目指す方向は震災前と変わらない。でも今回の経験でこれから目指したいエネルギーの形や社会のあり方、人との結びつき(北海道に友達ほしいなとか)がよりくっきりとはっきりとした。だから、それを実現するために、明日からの日々を過ごしていこうと思う。

=3月24日(水)25日(木)のごはん=

*ベトナム風鍋(餃子入り)

=3月26日(土)のごはん=

*餃子

*スナップえんどう

*じゃがいもとわかめのおみおつけ

*白米

=3月27日(日)のごはん=

*豚肉のにんにくこんがり焼き、レタスとかいわれ添え

*じゃがいもとわかめのおみおつけ

*白米


おみおつけによく使う生活クラブのわかめは三陸海岸産のもの。

わかめの会社は福島県いわき市にあるが、製造元の会社は

地震で甚大な被害を受けた宮城県志津川で連絡が取れない状況だそう。

わかめは4月も注文していたが供給中止になった。

ここのわかめも、にぼしも、かつおぶしもとてもよかった。

製造元の会社の方々が皆無事でおられるようお祈りしている。

時間がかかっても、またここのわかめやにぼしが食べたいなあ。

=3月28日(月)のごはん=

*豚の角煮、ゆでたまご、青梗菜添え

*やまと芋と海草のサラダ

*じゃがいものおみおつけ

*白米

=3月29日(火)のごはん=

*そいの煮付け、ごぼうとピーマン

*春雨としいたけのスープ

*ごはん

=昨夜のごはん=

*ポークビーンズ

*ゆでブロッコリーとミニトマト、カッパさんがドイツでお友達にもらったという

超濃厚なチーズをつけて食べました。

*パン

=今夜のごはん=

*鮭とブロッコリーのクリームパスタ

*温野菜とチーズ