数日前、ベトナムのバービー人形の先生が亡くなったという知らせを受けた。
「バービー人形の先生」とは、私がベトナムで大変お世話になった農学者の先生、ダオ・テ・トゥアン先生のこと。なぜ「バービー人形の先生」と呼ぶのかは、先生の趣味がバービー人形のコレクションだからなのだけれど(実際、私はいつもカッパさんや友人に「バービー人形の先生」とよく先生の話をしていた)、先生のことをなんと表現すればよいのか、とってもとっても立派な先生だった。私がこれまで出会った「先生」の中で私のもっとも敬愛する先生です。
先生は1931年ベトナム中部のフエに生まれる。お父さんは有名な言語・歴史学者のダオ・ズイ・アイン氏。お母さんは教師だったそうだ。先生が生まれたとき、両親と親しい関係にあったファン・ボイ・チャウ(ベトナム民族運動の代表的人物)はお祝いの詩を贈ったという。幼いころから本に囲まれて育ち、お父さんに漢字を習い、周囲の知識人から歴史や地理を習った。学校ではフランス語で勉強し、英語やラテン語も勉強したそうだ。先生の専門は農学でもともと稲の研究をなさっていたようだが、歴史や考古学にも造詣が深く、外国語も達者でフランス語、英語、ロシア語、中国語ができた。
私が初めて先生にお会いしたのは2003年8月、ちょうどベトナムに留学したばかりのときに、あるシンポジウムで先生にお目にかかった。私が農家と市場との関係を野菜栽培や流通からみたいと言うと、興味を示され「では近いうちに私の自宅に来るように」と名刺を渡された。それからよくご自宅に伺ってお話したり、あちこちの農村につれていってくれたりした。私がこれまで調査をした村は、ほとんどが先生が紹介してくださった場所である。先生のもともとのご専門は自然科学なのだが、農民組織や農村開発など、社会科学的な問題意識を強く持っておられ、実際に農村を訪れては農家と直接話をしていて、いつも農民のために、という気持ちを忘れない方だった。
だから、今の市場至上主義というか、拝金主義の漂うベトナムの風潮に危惧を感じていて、「社会主義を指向した市場経済というからには、市場経済は目的ではなく手段である」と経済や社会のあり方についてもよく発言されていた。そして、「ベトナムの村落にはもともと共同的な組織の伝統があったのに、集団農業で強制的に合作社に加入させられて農民は「協力」するのが怖くなった。でも、今は今の時代にあった新しいタイプの合作社を立ち上げて農民が市場交渉力をつける必要がある」と言って、各地で新たな合作社の設立を支援したりした(ここらが、私の研究につながってくる)。
先生は、農業科学技術研究所の所長でらしたが、職を退いてからも農村開発のNGOを自身で立ち上げたり、ニュースレターを作って配布したり、世界社会フォーラムに参加したりと、いつも最前線で活動しておられた。先生は難しいことをこねくりまわして複雑にするのではなく、とてもシンプルにおっしゃるので、先生の論文や著書を読んでいても、先生とお話していても、本質的なことが何なのか、よくわかった。
私は調査からハノイに戻ってくるとよく先生のご自宅を訪ねた。いつもご自宅を訪ねると先生は目を力強くきらきらさせて、フィールドのことを尋ねられた。あるとき、居間で話をしていたが、先生の書斎に招かれて入ってみると、壁一面にバービー人形が飾ってあって度肝を抜かれた。確か300体くらいあったのではないか、世界各地で集めたいろんな洋服や民族衣装を着たバービーだった。先生はご自身のお子さんが男の子だけだったので、女の子がほしくてバービー人形を集め始めたそうだ。フランスで買ったというバービーの本まで持っていた。先生は日本にいらしたこともあり、そのときに着物を着たバービーがほしかったのだが、見つからなかったといって浅草の仲見世で買ったという人形を持っておられた。先生は私に「日本に帰ったら着物を着たバービーを探してくれ」とおっしゃっていたのだが、私は未だに着物を着たバービーを見つけられていない。その他、私がつけていたピーターラビットのペンダントにも興味を示されていた。先生の外見からは想像がつかないが、きっとかわいいものがお好きだったのだろう。
大変好奇心旺盛な方で、日本人の研究仲間と一緒にハノイにある日本料理店にお招きしたときには、メニューを見ながら日本の料理の名前を一生懸命メモに写しておられた。私は先生の、偉ぶらずに人と接し、いつも好奇心旺盛でいろんなことを学ぼうとする、そういうお人柄がとても好きだった。
研究者は、ちょっと普通より逸脱した「変な人」であったほうが大成するのではないかというのが私の意見だが、バービー人形の先生は、研究や教養の面でも超一流であったばかりか、趣味の面でもだいぶ「変わっている」という点で、一流であった。
日本人研究者の中でもっともバービー人形の先生と長い付き合いがあるS先生に以前お聞きしたところによると、ドイモイが始まる以前は外国人との接触が厳しく制限されていて、ベトナム人研究者はなかなか外国人研究者と会ってくれなかったが、その中でもバービー人形の先生と歴史学者のV先生だけは政府の監視を気にせず会ってくれたそうだ。先生は外国語が堪能とか、世界のどこでも通用する知性と教養を備えている点で国際人であるが、誰とでも分け隔てなく接する、そういう意味で真の国際人であったと思う。
こんなにお世話になって大好きな先生であったのに、私は12月ハノイにいたときに先生に会いに行かなかった。なんとなく博論が終わっていないせいで気後れして、博論が終わったら会いにいこうと思っていたのだが、もう先生には会えなくなってしまった。今会いにいかなかったことをとても後悔している。
先生が亡くなられたという1月19日、私は、博論を書きながら、先生の論文を引用していた。まさか、そのとき先生が亡くなられたなんて誰が想像しただろう。先生に読んでいただくような気持ちで博論を書こうと思う。
バービー人形の先生についてずいぶん長く、熱く語ってしまいました。先生のご冥福をお祈り申し上げます。