2011年5月31日火曜日

りんごの花


5月末になると花を咲かせるりんごの木。
北大の遠友学舎脇にあるこの木は、1年でもっともよい季節の一幕を可憐に見せてくれる。

6月末まであと1ヶ月ーーーーー

2011年5月6日金曜日

ドナドナ

前回のブログの最後に、福島の子どもたちが北海道に来れば新鮮な牛乳が飲めると書いたが、北大農場の牛乳にも本当に微量だが、放射能が入ってしまった。日本中どこも時間の問題だからもうがっくりともこない。
ところで、福島第一原発の20キロ圏外にいる牛2万頭あまりの避難先として、北海道が有力候補に上がっているという。

原発避難牛、農水省受け入れ要請 「道内が有力候補」
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/agriculture/287735.html

今朝、道庁の畜産振興科に電話して聞いた内容を以下にメモしておく。(道庁tel: 011-231-4111)
お話したのは酪農グループの林さん、声をお聞きした感じではお若いが、とても丁寧に対応してくれた。

・道新の内容は可能性があるだけで、まだ決まったわけではない。

・現在は福島県が、各牧場に問い合わせをしている段階で、道として何かしているわけではない。農水省は、情報の仲立ちという形で、牧場の情報を福島県に伝えている。受け入れを決定するのは牧場なので、道としてどうこう言えるわけではない。

・もし牛が北海道に移動することに決まった場合、その事実は公開する。ただ、どの程度情報を公開するかは(受け入れ先牧場名や頭数など)は、何も決まっていない。

・20キロ圏外の2万頭のうち、乳牛は1800頭、残りは肉牛。特に、飯館村は飯館牛という肉牛で有名。

・対象となる肉牛は、繁殖用の子牛、雌牛などで、それがすぐに食用になるわけではない。何年か後に子牛を生んで、それが食用になると考えられる。

・道も受け入れは慎重にしたほうがよいという立場(さっき言ってた牧場が決めて道は関与しないという言葉と矛盾してる)。

・JAあしょろで受け入れるのは育成牛といって子牛を数ヶ月間受け入れて、育成して種付けしてからまた福島へ返すというパターン。それが道産として出回るわけではないとのこと。

わかったようなわからないような回答ですが、私は、牛や農家のことを思うと受け入れたい気持ちはわかるが、とりわけ乳牛は、避けるべきだ、牛乳は子どもの摂取量が多いし、給食でも使われる。基準値以下でも影響は大きい。また、牛乳はバターやチーズなどの乳製品、菓子など用途が広い。汚染は薄めればよいというものではない、道産品の安全を守るために道として音頭をとってほしい、と申し上げたら林さんは、「わかりました!」とおっしゃっていました。

やはり、こういうのは質問状や要求書などで文書でやり取りしたほうがよいですね。今それやってる時間は今はないので、電話で伝えるだけだけど。でも、広域流通が発達している現在、汚染をある程度のところで打ちとめる努力は必要だけど、何に何が入っているか、全部検査することは実質不可能に近いです。もうこうなった以上放射能との共存は覚悟しているんですが(というか、すでに食べているし)、それでもできることを先手先手でやっておきたいのです。

私のような放射能ヒステリーっつうか、食品の汚染を何ベクレルって気にする人は、チェルノブイリ後のヨーロッパでもいて、そうした人たちのことを揶揄して「ベクレル派」と呼んだそうです。チェルノブイリ後の日本でも、食品の放射能測定する市民グループができたそうですが、そういう動きを、京大原子炉実験所の小出裕章さんは「チェルノブイリ後の日本では370ベクレル/kgという基準を設定して、それ以上の汚染を水際で食い止めることにはある程度成功した。しかし、日本が戻した汚染食品が、測定体制を持たない第3世界の貧しい人々に渡ったことを忘れてはならない。日本は汚染されたものを拒否すべきではない」と批判しています。小出さんは「自分さえよければそれでよいのか?」と鋭い問題提起をしているわけで、それは今回の原発事故にも当てはまることでしょう。

これに対し、高木仁三郎さんは、「チェルノブイリ後の、タイやフィリピンなどの東南アジア諸国は日本よりもずっと低い規制値を設定した。途上国の人々は、拒絶する意識も能力も十分でないという前提は、日本人の傲慢ではないのか。それに、東南アジア諸国は、EUから「日本もこれくらいの規制値なんだから、もっと規制を緩めよ」というように圧力をかけられたという。途上国であっても厳しい規制を守ろうとする人々のことを考えれば、日本でもより厳しい規制を追及することが求められているのでは」と批判しています。また、渡辺美紀子さんも「他の国々の動きと連携し、安全でないものを食べることを、それぞれがきちんと拒否する基本的態度を貫き、そのことが世界中の人々にとって保障されるような運動をつくっていきたい」と述べています。

私が今回の件で、一番難しいと感じているのは、チェルノブイリのときは、よその国で起こった事件で、汚染食品は多くの場合が輸入品、すなわち生産者はよその国にいたので、ある意味避ければよいだけだったので気楽だった。しかし、今回は自国で事故が起こり、生産者が間近にいるため、食べるか食べないか、どの程度の汚染なら許容するかという話をすること自体が、被災地への懸念や経済的な打撃への懸念から、喧々諤々と議論することが難しくなっている雰囲気があること、また、それなりに良心的と思っていた生協なども実は、事業への影響の懸念か、動きが遅いこと。やっぱ、自分の利害が絡んでくるとなると、人間誰でも動きが鈍くなるわな・・・。

こうした状況の中で、消費者がどこまで許容して、自分たちを守っていくかという問題は、他人任せにはできず、自分でやるしかない。私は、汚染の少ないものを食べたい、人より安全なものを食べたいという人間は、それなりの責任が生じると考えている。それは、生産者を守る運動であったり、原発を停止して代替エネルギーを自分で作っていくという運動に積極的にかかわっていくこと、それができないのだったら「自分は汚染の少ないものを」と言う資格がない(恐らく今までもきっとそうだったのだろう、私にはその自覚がなかった)。そもそも、放射能に限らず、消費者運動の原動力は「安全なものを食べたい」というものなんだろうけれど、「自分さえよければそれでよいのか」「より汚染されたものを食べざるを得ない人々のことをどう考えるのか」という問題は、宿命的に付きまとうもの。このもっとも根本的なことをどう考えるのかを今問われているのだと思う。

・・・って私の博論のテーマは「ベトナムの安全野菜と合作社」なんだけど、それ「原発事故による日本の安全野菜と消費者運動への影響」に変えたほうがよいかねえ?