2011年3月31日木曜日
震災で変わったこと変わらないこと
2011年3月29日火曜日
14歳中学2年生の藤波心さんのブログ
2011年3月28日月曜日
まとめと対策―放射能による食品汚染―
2011年3月26日土曜日
復興したら花嫁を & 放射能による食品汚染2
2011年3月25日金曜日
放射能の食品汚染に関する基礎知識
2011年3月23日水曜日
反原発キャンドルディナー
2011年3月20日日曜日
いろんな反応
姉夫婦:仕事があるし、家族一緒にいた方がよいから今すぐの移動は考えられない。それに北海道に行くには飛行機で上空を通らなくてはならない。上空のほうが放射線物質があって危険ではないか。どうせ避難するならベトナムの方がいい。
弟:そんな大丈夫だよ。原発の状況は今日だいぶ改善したんでしょ。東京はだいぶ福島から離れているし。
首都圏にいるベトナム人の友人たちは?
フオンちゃん:私は日本にとどまる。日本の政府を信用してる。ベトナム政府よりは日本の政府のほうが情報公開していて信用できるから。
ズオン君:航空券買ったから日曜(今日)にベトナムに帰る。東京には人がいなくなってるよ。chị(私のこと)も一緒にベトナムに行こう。
弟は、2歳の子どもがいるのに、おまけに奥さん妊娠しているのにずいぶんノー天気な反応で笑ってしまった。いやーいろんな人がいるねぇ。
2011年3月14日月曜日
地震その後
3月11日(金):7時頃職場にいるカッパさんにメールで、仙台のお母さんお父さんの無事を伝えると、すごく安心した様子。カッパさんも地震発生直後に仙台の実家に電話したが、お父さんのみ在宅で、お母さんの確認が取れず、その後何度電話しても通じなかったので、すごく心配したらしい(お母さんはお友達のお宅を訪れていた。お友達のお家は2階建てアパートで、カッパさんはアパートが倒壊したのではないかと心配だったそう)。私は一度で仙台に電話が通じた。自分の実家には電話が通じなかった。
食事が終わってから家族や友人とメールで連絡を取り合う。何人かの私の友人が、カッパさんの実家が仙台であることを覚えていてくれて「大丈夫?」と聞いてくれる。心配してくれることがとても有難い。私の実家では皆無事。父が出かけていて帰れなかったが、夜中3時に無事帰宅できたとのこと。
カッパさん夜12時近くに仙台にいる高校時代の友達の携帯に安否確認のメール送る。友達からは「夜中に起こすなバカ!」と返事が来た(笑)。仙台市若林区在住のお友達は、停電で情報が遮断されていて、津波がすぐ近くまで押し寄せたことなど知らなかったそう。後で、こんなに大災害だとは思わなかったと言っていた。
3月12日(土):朝目を覚ましたときに「カッパさんの両親は、どんな朝を迎えただろう」と考える。
夕方6時頃、仙台へ電話。今回も1度で通じた。お母さんは大変落ち着いた様子で、電気が通じて炊飯器でご飯を炊いたこと、カッパさんの高校時代の友達が家まで来てくれて、ずれたピアノを直してくれたこと、近くのお友達小山のおばちゃん宅の仏壇が倒れて、お父さんと一緒に直しに言ったことなど話してくれた。小山のおばちゃんは、私たちもお正月に仙台へ帰省するたびにお会いする。今年は美味しいきんぴらをふるまってくれたおばちゃん。おばちゃんは家の中のいろんなものが落ちてきて、昨夜は近くの、カッパさんが卒業した小学校の避難所で一夜を過ごしたそう。でも後は自分で片付けるとおっしゃっていたそう。
お母さんたちは1階の片付けは昨日のうちに終えてしまい、2階は本棚があるので近づかないようにしているとのこと。
ベトナムやインドネシアから無事か?というメールが届く。
なぜか、「無事ですか?」と確認してくれる知人たちは女性が多いねということをカッパさんと話す。男性からの安否確認は少ない。
3月13日(日):昨日からの原発事故に対する不安と、そのテクニカルなんだけどはっきりしない説明に対して苛立ちがない交ぜ。ベトナムも今原発を作ろうとしていて、昨年は前原外相が原発売り込みに行った。ベトナムでは、野党がないし、政府に対して異議申し立てがほとんどできないし、皆原発の基本的な情報すら入手できていないのではないかと思う(日本人だって私も含めて原発の基本的なメカニズムについて知らない人が多いだろうけど)。博論終わったら原発に関してベトナム人に情報を伝える活動などできないかなと思う。
3月14日(月):夕方カッパさんの高校時代の友人から電話がきて、カッパさんがまだ帰宅してなかったので少し話す。スーパーでは買い物は一人1個に制限されているそうで、おコメを買ってきて炊飯器で炊いておにぎりを食べているそう。電話の向こうの相手が食料の入手に困っているというのに、私とカッパは毎日ビールを飲んだり美味しいものを食べたりしている。
東京ではミネラルウォーターやレトルトご飯が売り切れ続出だそうで、小学生のときの経験を思い出す。台風か何かで停電と断水が続いて食事を作れなかったので、近くのパン屋でパンを買ってきて、と母に言われて買いに行ったら行列。列に並んだが、前に並んでいた大人たちが一人でたくさん買い占めてしまい、知り合いだけを優先して行列に割り込ませたりして、結局私はパンを買えなかった。このとき「大人って勝手だな」って思った。もちろん今回は、これから停電や余震などあるから買い置きしようという気持ちはとてもよくわかるけど、こういう状況では自分だけが助かるとかどうにかなるってことはないのではないか。
北海道では冬野菜が取れないので、よく茨城県産の野菜を見かける。フェリーで大洗港から苫小牧に運んでいるのではないかと思うが、フェリーは運休しているし、これから何かしら影響が出てくるだろう。
2011年3月11日金曜日
地震
地震が起こった3時前、私はいつものとおり、北大図書館にいた。
あれ、なんか揺れているみたいだなーと思って周りを見回したら、窓から垂れるブラインドウが揺れていて、これは地震だって気づいた。周囲の図書館員の人たちも「けっこう大きな地震だ」などと言ってた。
北大図書館は本棚が倒れないようばっちり対策をしてあるので、周りの人たちもまったく騒がず静かだった。図書館員の人が「地震で気持ち悪くなった人はいませんか?まだ余震があるようです」と周ってきたが、皆ちらっと顔を上げただけで静かだった。
で、バスに乗ってさっき帰ってきてラジオをつけたら(うちにはテレビがないので!)、なんと東北・関東で大地震だったようでびっくり!!
すぐに仙台のカッパさんの実家に電話したら、お母さんがでて「まあ、どうもね」などと言って大変落ち着いていた。お母さんは地震のときちょうどお友達の家にいて、お友達の家ではいろんなものが落ちてきて、冷蔵庫の中のものまで出てきてしまったそうだ。お母さんはすぐに家に戻って、そしたらお父さんが倒れたものを片付けたりしていたそう。家の中のものはいろいろ倒れたり、ガラスがちょっと割れたりしたがものすごい混乱というわけではなさそうだった。今、停電しているのでろうそくをつけていて、でもガスはつくので、今夜はおかゆでも食べるっとおっしゃっていた。
電車が止まったので家の前の道路を、歩いて帰っている人が多いとのこと。
すごい揺れだったようだが、カッパさんのお父さんとお母さんは落ち着いているというか、そんなにパニックってない様子だったので安心した。
私の実家や姉の家にも電話したがつながらない。で、メールを開いたら母から大丈夫?というメールが届いていた。父はちょうど新宿に出かけていて電車が動かないと帰れないって。職場にいるカッパさんからも電話が通じないとさっきメールがきた。
いやいや、こんな大地震だったとは。
私の友達や皆さん、無事ですか?
2011年3月6日日曜日
一人暮らしの成果
100円ショップで買った紙の型、型にバターを塗る手間や洗う手間がないし焼きあがればびりびり破って捨てるだけなので楽です(エコではないか?)
=2月25日(金)のごはん=
*豚のしょうが焼き、キャベツの千切り
*ポテトサラダ
*わかめのねぎのおみおつけ
*白米
=2月26日(土)のごはん=
*銀だらのにつけ、焼きねぎ添え
*蒸しかぼちゃ
*せり炒め
*ふのりのおみおつけ
*白米
「ふのり」はさささっと洗ってぽんと味噌汁の鍋に入れればできあがり
磯の香りがしてこりこりしてとっても美味しい
ふのり万歳!
=2月27日(日)のごはん=
*豚キムチ炒め
*アボガドとまぐろの山掛け
*大根と大根葉のおみおつけ
*白米
=2月28日(月)のごはん=
*さば、大根おろし
*あさり豆腐
*もやしと油揚げの炒め物
カッパさん不在の間朝聴くようになったラジオビタミンで流れていたレシピ
もやしを強火でさっと炒めて細切りにした油揚げも合わせていためる。
オイスターソースとコショウで味付け。
*味噌汁
*白米
*大根とスペアリブの煮物
*たこサラダ
*わかめとねぎのおみおつけ
*白米
=3月2日(水)のごはん=
*さば、大根おろし
*小松菜の炒め物
*にんじんのナムル
*たこサラダ(残り物)
*卵とえのきのスープ
*白米
=3月3日(木)のごはん=
*カッパさんお土産のドイツソーセージ
*ザワークラウト
*ミネストローネスープ
*パン
=3月4日(金)のごはん=
*秘密のやわらかチキン
*ごぼうとれんこん、ひじきのきんぴら
*ミネストローネ
*白米
=昨夜のごはん=
豚しゃぶ(白菜、水菜、えのきだけ、舞茸、
ぷるんぷあんというインドネシア産ムカゴこんにゃく
↑お鍋にぽんと入れるだけ。ぷりぷりしてなかなかのヒットでした)
=今夜のごはん=
*にしんのお刺身
*スナップえんどうの胡麻和え
*鶏むね肉、紫たまねぎとわかめの中華風サラダ
*キャベツのおみおつけ
*白米