2013年12月8日日曜日

朝窓を開けると一面雪、雪、雪。
いよいよ雪の季節の到来です。
初雪は11月に降りましたがその後溶けました。
でも12月になると溶ける前にまた雪が積もってというのを繰り返し、根雪になるのですね。
 
雪国では冬場はベビーカーが使えないので、ソリに子どもを乗せて移動します。
昨日赤いソリを入手して、今朝早速Yuriを乗せて買い物に行こうとしたら乗りたがらず大泣きしていました。

 
 朝起きたら一面銀世界が広がっていました
雪が降ると空気が澄んで美味しいです
 
雪道でワンちゃんに会いました
 
葛は身体を温めると桶谷式の先生がおっしゃっていたので
今夜はエビと豆腐のあんかけに葛を使ってみます
 
断乳して1ヵ月半以上経ちました。
断乳して3日後、1週間後、3週間後、
さらに3週間おいて最後のおっぱいのお手入れをしてもらいました。

2013年11月10日日曜日

落葉

おととい初雪が降りました。
今年は例年に比べて暖かく、紅葉も長い間楽しめました。
写真は1週間前の様子です。





読書家

ママの本にも興味津々です~

2013年10月23日水曜日

「メメ」とは「めし」のことだった・・・

その後Yuriは落ち着いて、おっぱいをほとんどせがまなくなりました。
そして、食べること食べること、まるで欠食児童のようによく食べます。
 
これまでYuriはしばしば私のことを「メメ」と呼んでいたので、私は「メメってママのことか。ママのことを呼んでくれているんだ嬉しいな♪」と思っていました。この「メメ」とYuriが言うのが本当にかわいいんです。ところが、断乳してわかったのは、「メメ」とは、私のことではなく、「めし」のことだったのです!おっぱいがなくなったと分かった途端、私のことを「メメ」とは呼ばなくなりました(笑)。
 
代わりにパンとかシチューとか、大根とか、お豆腐とかを、「メメメメ」と盛んに叫んでいます。「お腹がすいた、メシくれ」という状況のときも「メメ」と言います。今やパンが「メメメメ」と求められているのを見ると、「そっか、私はパンと同じか・・・」と苦笑してしまいます。
 
おっぱいをあげているときは、カッパさんがいくらかわいがったり面倒を見たりしても、私の方になついていたので、カッパさんは時々嫉妬して「ママが好きっていうより、おっぱいが目当てなんじゃないの?」と言っていたのですが、図星でした。Yuriの目当てはおっぱいだったのです!!まあ、それだけおっぱいが好きだったということで、よいことではあるか。
 
それにしてもよく食べます。満腹中枢が壊れているのではないかと思うくらい食べます。今日も2時半に保育園で雑炊を完食したというのに、3時にお迎えに行って公園で遊んでいると「メメメメ」と腹っぺらしのYuriでした。家に帰るとかぼちゃをもりもり食べました。
 
一心不乱に食べるYuri

 
かーちゃんこれからメシ作りに精を出すよ


2013年10月19日土曜日

食べる食べる

断乳以来、Yuriはすごい食欲です。
今朝も、起きた直後からお腹がすいていたのでしょう。
朝ご飯は炊き込みご飯に豚汁、五目豆、よく食べました。五目豆はスプーンですくいやすいので、自分でスプーンを持って食べました。それから私たちの食べているパンをほしがるのでパンもたくさん食べました。
 
昼ごはんも同じく炊き込みご飯と豚汁、ほうれん草。
 
今日は午後子ども劇場の焼き芋会があったので出かけました。Yuriはそこでも食べること食べること。焼き鳥をほとんど2本たいらげ、その後さつまいもも口にほおばり、あまりに口に入れすぎて飲み込めなくなるほどでした。
 
家に帰ってからまたお腹がすいたと泣くので今度はパン。
 
夜ご飯は炊き込みご飯、カブと厚揚げの煮物、小松菜の澄まし汁、これもけっこうな量をたいらげた後、私たちが後からご飯を食べているとまたよこせとせがみ、厚揚げ、カブ、ちらし寿司も食べました。
 
よく食べるぅーーー
これからYuriのご飯やおやつの用意がんばらなきゃ。おっぱいは楽だったなぁ。
でもYuriも食べる楽しみがわかってきているようなので嬉しい。
 
ちょっと心配なのは、断乳して以来、Yuriの顔色があまりよくないことです。
おっぱいを飲んでいるときは、手も足も体の先までぽかぽかして、顔もりんごのほっぺのように血色がよかったのに、今は手足も冷たいし、顔色もあまりよくない。母乳を飲むことは血行をよくすると助産師さんが言っていたけれど、これほど違うとは。断乳してから、母乳をあげられることがどんなにすばらしく幸せなことか、つくづく感じます。本当はもっとあげたかったけれど、でもこれまでも十分あげてきたのだから(と自分に言い聞かせています)、これからはYuriの食事作りをがんばっていきたいと思います。

 
最後の授乳の後眠るYuri
このときもほっぺが赤いです
 
 
断乳の後、私が寂しくなり、保育園の連絡帳に「パパっ子になってしまい寂しい。おっぱいがなくなってママはいらなくなったのか・・・」と書いたところ、Yuriの担当の保育士さんが「お母さんの寂しいお気持ち察します。ゆりちゃんにとって大好きなお母さん、この世で一番大切な存在だと思います。ゆりちゃんとの時間をたくさん楽しんで過ごしていければよいですね」と書いてくれました。Yuriの連絡帳が私とIzumi-san(担当保育士さん)との交換日記のようになっていますが、こんな風に書いてくれてとても励まされました。周囲の友達にも「おっぱいがなくなってママのこと嫌いになったのかな?」とこぼすと「お母さんのこと嫌いな子はいないさ。自信を持ってがんばって」と。
周りの人たちに支えられて子育てできているなあと感じます。


2013年10月17日木曜日

断乳、すっかりパパっ子に

10月14日(月)、断乳を開始しました。
1歳3ヶ月での断乳です。
断乳について考え始めたのは今年の8月、Yuriが歩き始めてからです。本当は
1歳半か2歳近くまでおっぱいをあげていたかったのですが、今後のこと、断乳しやすいシーズン(春か秋)も考えて、断乳を決断しました。

しばらくご無沙汰していた桶谷式母乳相談室の助産師さんのもとを訪れ、断乳前に何度かおっぱいマッサージを受けて、心と体の準備をしていきました。また、仕事の都合やカッパさんの予定なども考えて、10月14日(月)3連休の最後の日をおっぱい卒業の日と決め、カレンダーに赤丸をつけて、Yuriにときどき「この日でおっぱいはないないだよ」と説明しました。Yuriにはおっぱいをやめる理由も話しました。

桶谷式では断乳を非常に大切にしています。おいしいおっぱいをあげて体の基礎を作ること、おっぱいをあげることによって母子の絆をしっかり作り上げること、でもある段階にきたら、これでおっぱいは終わりだよということで断乳して親も子もそれを乗り越えることによって成長するといいます。

断乳2日前の土曜日にもう一度おっぱいマッサージを受け、助産師さんが「Yuri-chan, がんばれ、おー」と片手をあげて語りかけると、Yuriもニコニコして「おー!」と腕をあげて応じていました。

日曜日の夜はカッパさんとYuriが産まれてからのことをしみじみ語り合いました。普段忙しいと子育てもぱあっと過ぎてしまいますが、断乳は乳児の卒業式(助産師さんは「成人式以上の成人式」と言ってました)私たちにとっても初めての経験です。産まれてからすぐにYuriが私のおっぱいに吸い付いたこと、退院してからはおっぱいをあげるのが大変で、特に夜はおっぱいをあげながら睡魔が襲ってきて、その後、泣き続けるYuriを夜中までカッパさんがあやしたこと、Yuriが産まれてからの話は尽きることがありません。そのくらい大変だけど、充実した日々でした(って今もそうですが、ハハハ)。

いよいよ月曜日、朝ご飯を食べてちょっと経った頃、Yuriにカレンダーをもう一度見せながら「今日は10月14日、おっぱいは今日でないないだよ。これから最後のおっぱいを飲もうね」と言って、最後の授乳をしました。授乳しながらYuriが産まれてからのことを語りかけました。新生児のときから舌をぶるぶる震わせておっぱいを飲んでいたこと、おっぱいを飲んで乳首をくわえたまま、ときどきにやっと笑っていたこと、他の人に抱っこしてもらったときに、一生懸命乳首を捜して口を横に揺らしていたこと、飛行機の中で授乳していたときに、Yuriが美味しそうな唸り声をあげていて周囲の人が不思議そうに見ていたこと、いつも保育園お迎えに行くと、保育園で授乳させてもらい、そこでいろいろお話するのが楽しみだったこと、本当に幸せな時間だったよと。左右両方で1時間、Yuriは気持ちよさそうに眠ってしまいました。その後、おっぱいにへのへのもへじの絵を描きました。これは、Yuriに理屈ではなく、おっぱいはもうなくなってしまったんだとわかってもらうためです。

お昼ごはんの後、おっぱいをほしがったのでへのへのもへじのおっぱいを見せると、Yuriはびっくりしてじーっと見て、はあはあと息をしながらもう少しで泣きそうでした。ただ、昼間はカッパさんが一生懸命遊ばせてくれたので、割合機嫌はよかったのです。問題は夜でした。

いつも夜中も2,3時間毎に授乳していたので、そのリズムが出来ていて、夜2時前に起きだして「メメメメ」(メメとはママとかおっぱいとか今ほしいものを指すようです)と叫び出し、狂ったように泣いていました。明かりをつけて、抱っこして、私はおっぱいを何度も見せました。おっぱいのへのへのもへじを見るたびに「わーん」と泣き、また洋服をおろしては、またほしがるのでまた見せて「わーん」これを何度くり返したでしょうか。だいぶ経って泣き止むと、今度はお気に入りの「ちいさなうさこちゃん」の絵本を出してきたので、読み聞かせしました。何度も何度も読むうちに、さすがにYuriも疲れてうとうとし始めたので、一緒にお布団に入って、また絵本を読んでいるうちに眠りに就きました。結局夜中3時間くらい起きていたでしょうか。

これまでおいしいおっぱいを飲ませてくれるのが当たり前だったのに、いきなり今日から飲めなくなって、どんなにショックだったでしょう。Yuriは大好きな絵本を読んでもらうことで、心をなんとか落ち着けようとしていたようです。こんなに小さいのに、こうしてがんばっていることに、私も涙が出そうでした。

翌日は私は1日仕事でカッパさんが保育園にお迎えに行きました。お昼ごはんは、これまでにないくらい、たくさん食べたそうです。保育園でもいつも持参した冷凍母乳を解凍してあげてもらっていましたが、今日からはなし。Yuriは食事が終わると調乳室を指差して「おっぱいは?」と聞いたそうです。保育士さんが「ないない」というと、「ない」と自分に言い聞かせるように言って向こうに行き、また戻ってきて調乳室を指差してまた「ない」と。それを何度かくり返していて、自分を納得させていたそうです(後で、保育士さんが涙ながらに話してくれました)。

家に帰ってくると、お腹がすいていたのでしょう、食卓の椅子に座らせろとせがみ、夜ご飯もばくばく食べたそうです。

私は仕事を終えて8時半頃家に着きました。いつも仕事が終わるとぱんぱんに張ったおっぱいをYuriに飲んでもらうのが楽しみでした。でも今日は飲んでもらえない。帰るとYuriはまだ起きていて「メメメメ」とおっぱいをせがみます。もう一度、へのへのもへじの描いたおっぱいを見せると、Yuriは「わーん」。洋服をかけると下にはいつものおっぱいがあるように見える、おっぱいを見せるとYuriはへのへのもへじはもういいというように洋服をかけて、またもう一度おっぱいをせがみ、見せると「わーん」これを何度くり返したでしょうか。Yuriももうおっぱいはないんだと徐々に受け入れ始めたようです。2日目の夜は、1時前に起きたものの、私が抱っこしてとんとんすると眠りに就きました。また5時頃置きましたが、今度はカッパさんが絵本を読んであげて、眠りに就きました。

3日目。断乳後、私は1日3回ほど張ったおっぱいを和らげるため、自分で絞っていましたが(絞っては捨ててもったいないーー)、今日は母乳相談室に手技を受けに行き、詰まったところがないよう、たくさん絞ってもらいました。助産師さんに報告して「Yuriちゃんよくがんばったね。泣きたいだけ泣かせなさい」と。

保育園に迎えに行き、帰ってくるとおっぱいをせがんだのですが、気をまぎらわせるために、お茶を飲ませ、おせんべいを食べさせました。食欲があることあること、せんべいも一人お皿を抱えてむしゃむしゃ食べていますし、それが終わると早くご飯と。これからご飯はもっと早くしなければなりません。

3日目の夜、寂しかったのは、Yuriがすっかりカッパさんになついて、私を素通りすることです。絵本もカッパさんに持っていって読めと、カッパさんのことを「メメ」とまで呼ぶ始末。これまで私のひざによく抱きついてきていて、それがとてもかわいかったのに、私のところはスルーしてカッパさんにばかりまとわり付いています。カッパさんがご飯を食べているので、私が絵本を読むよと絵本を取り上げると怒ってカッパさんに読んでもらいたいというのです。これまでは、カッパさんのほうがかわいがっていても、おっぱいがあったので、何かというと私のほうにまとわりついていたのですが、おっぱいがなくなった途端、なんと白状なのでしょう!断乳して心にぽっかり穴が開いてしまったのに、Yuriが冷たくなって、さらに寂しい母です。

3日目の夜は5時頃1回しか起きませんでした。また泣いていましたが、カッパさんがエルゴで抱っこして眠くなったところで私の布団に連れてきて、一緒に布団で眠りました。Yuriはおっぱいをほしそうだったけれど、私のパジャマのズボンの紐をいじりながら眠りに就きました。

4日目、今朝は私が保育園に連れていきまました。いつもお別れするときは嫌がって泣いていたけれど、今朝は保育士さんに抱っこされたままぼーっとして、私に手を振っていました。

徐々にYuriはおっぱいを飲んでいたことを忘れていくのかな。でもYuriはおっぱいをたくさん飲んでこんなに大きくなったんだよ。

これまでおっぱいくさいYuriの匂いをくんくん嗅ぐのが楽しみでしたが、断乳した途端、当たり前ですが、おっぱいくさい匂いはなくなりました。また、手や足の先も冷たくなっていました。母乳を飲むことで血行もよくしていたのだと思います。おっぱいを飲んだ後は、ほっぺたも真っ赤に熱くなっていたのです。

断乳は母子ともに大変つらい経験ですが、これまでたくさんのおっぱいをあげてここまで育てたこと、母子ともに濃密なよい時間を過ごしてきたことに自信を持って、これからも子育てを楽しんでいきたいと思います。

2013年9月26日木曜日

手足口病、分担制

夏休みも終わり、おとといは2学期初の授業でした。
休み時間に非常勤講師室にいたところ、保育園から電話がかかってきてYuriの熱が37.9℃あるとのこと。家で仕事をしているカッパさんに迎えに行ってもらいました。Yuriは手足口病で、手足や口のまわりにぽつぽつ発疹が出来、昨日は少々熱もあったので保育園はお休み。

昨日は私もカッパさんも家で仕事をする予定でした。しかし、Yuriがいるので、午前はカッパさん、午後は私がYuriのお相手をするという分担制に。

この分担制は、この間の3連休最後の月曜日、私が提案したものです。知り合いの研究者カップルに小さいお子さんがいるのですが、保育園に預けず、午前と午後に分けて、一人が公園など外に連れていく間、一人が研究室で研究するというように、分担して研究と子育てを両立しているということを聞いたのです。私たちは平日は保育園に預けていますが、休みの日は2人でYuriを見ているので、分担制にしたら、休みの日も少しは仕事の時間が持てるかも、と思ったのでした。そこで、この間の月曜日は、午前はカッパさんがYuriと公園に出かけ、お昼ごはんと昼寝を挟んで、午後は私が公園に連れて行き、としたところ、私もカッパさんも休みの日でも仕事の時間が持ててしかも貴重な時間だけに、より集中できて、Yuriと遊ぶときは100%遊べてとてもよかったのです。カッパさんも「アダムスミス先生の言うとおり、分業はよい!」とえらく気に入っていました。

これまで休みの日は、2人とも、Yuriが昼寝したら仕事ができるかもなどと思いながら、Yuriと遊んでいるときも「早く昼寝してくれないかな~」とチラと思ったり、仕事をやっていてもYuriの存在が気になってなかなか集中できなかったり、とYuriと遊ぶのも仕事も結局中途半端に終わることが多かった気がします。分担制にしたほうが、Yuriと遊ぶときは仕事のことは忘れて思いっきり遊び、仕事のときは仕事と目の前のことに集中できます。

カッパさんも私も仕事の性質上、オンとオフがはっきりしなく、家でも仕事をしています。家で仕事をするのは、時間の融通が利く、保育園でなにかあってもすぐに迎えにいけるというメリットもありますが、ずっと仕事のことが気になって思うように時間を使えない、自由なようでいて実際は不自由という側面もあります。2学期も始まったことですし、メリハリをつけた時間の使い方をこれからも工夫していきたいと思います。

2013年9月12日木曜日

絵本大好き

 じーーーとうさこちゃんを見入るyuri
 
読んで読んで~と次から次へと絵本を持ってきます

2013年8月28日水曜日

うちわでパタパタ

こんなこともできるよ~

2013年8月23日金曜日

立った立った立った!

保育園がお盆休み中の8月14日(水)、Yuriが生まれて初めて自分で立ちました。お風呂に入った後パパと遊んでいるとき、つかまっている手を離して立ったのです。カッパさんが「立った立った!」と叫んだので、慌ててみるとYuriがほんの一瞬ですが、本当に手を離して一人で立っていました。私たちが「わーすごい!」と叫んで手をぱちぱちすると、Yuriも大コーフンしてバンザーイをしていました。
 
立ったよ!
 
それからは、立つのが嬉しくて仕方がなくて、得意気に立っては見せてくれます。最初のうちは、私たちがそばにいるときに立っていましたが、今は少し離れていてもすくっと立ちます。
 
保育園でも保育士さんが「立った立った見せてくれる?」と聞いたら、得意げに立ったそうです。
 
重量上げ選手のように膝から立って上体を起こします
 

立った立った立った!手を叩いて大喜び
 
そして初めて立った日から数日経った8月18日(日)夜、1、2歩前へ進みました。「歩いた!」感動の瞬間でした。
 
Yuriがハイハイしてつかまり立ちして伝い歩きして、そして立って歩いて・・・この間の成長をそばで見て思うことは、生きているというのはこんなにもすばらしいことだということです。大人になると初めて立ったり歩いたりしたことは忘れてしまい、当たり前のように生きていますが、こうして立ったり歩いたりして生きていることそのものがこんなにもすばらしく嬉しいことなんだということ、Yuriのこれからの長い人生、いろいろなことがあるだろうけれど、忘れずにいてほしいです。


2013年7月30日火曜日

スイカ

あっスイカだ~

 どれどれ
 
 がぶり
 
ひまわりの町北竜町のクリームすいかでした~!
 
 
しかし、Yuriは果物全般が嫌いのようで、スイカも食べてくれないのだ

2013年7月28日日曜日

積み木の町

母がYuriの誕生祝いに買ってくれたドイツはHABA社の積み木、Yuriはなめたりかじったり、叩いて音を出したり、投げたりして遊んでいますが、むしろ私の方が積み木遊びを楽しんでいます。色がとてもきれいな重さのあるしっかりとした積み木で、木と木の触れ合う音も心地よいです。
 
私が色別に並べたのを見て、カッパさんが「通勤途中に見るひまわり団地だ!」と言いました。

積み木の町

母が来訪

少し前ですが、Yuriの誕生日直後に母が北海道に遊びに来てくれました。
Yuriの誕生日を一緒にお祝いし、一緒にゆにガーデンや小樽、積丹半島を訪れました。小樽では、私が毎月1回通っているハーブ教室にも一緒に参加。

母はブログをやっていて、しかも私のような「たまに更新」のブログではなく、基本的に遅くなっても毎日の出来事を記す(まとめて更新することも多々あるが)方針なので、年に数回しか会わなくても、私は母の日常をよく知っています。なので、母と会って会話していても「ああ、それブログに書いていたでしょ」とすぐにピン!ときて話が通じるので便利!母は私のブログを見て自分もブログを始めたのですが、今や私のブログよりもずっと頻繁に更新しているし、読者も多い。

私の方は何ヶ月も前から母が来てくれることを楽しみにしていながら、なんだか慌しい毎日であれよあれよという間に母が来訪し、そしてあっという間に時間は過ぎて母は帰っていきました。

Air Doは、当日空席があれば、シニア(65歳以上)に限って安いチケットを販売しているので、「最近暑いから北海道に涼みに行こうかなあ」ってな感じでこれからも気軽に来てもらいたい。

しかし、母のブログ、北海道に来て以来更新していないよ。片付け忙しいのかなあ??

ば~ばに教えてもらった「Yuriponいくつ?」「ひとーつ」やってます

2013年7月24日水曜日

yurigahara-park

この間の土曜日、2ヶ月ぶりに百合が原公園に行きました。7月はゆり月間、Yuriの名前の由来になった公園を、私は本当に気に入っています。

 Yuriは芝生の上をハイハイ
 
 色とりどりのルピナスを前にLily trainがゆっくり走ります
 
 広い空の下で
 
木陰で おもいおもいに過ごす人たち
 
ハイハイでどこでも行けるよ
 
黄色のYuriが一番似合う? 
 
きれいなピンクが目に鮮やかです
 
 天然の香水を放つ白いゆり畑の中でYuriと写真を撮りました
 
 

 ラベンダーとバラ
 
 
こんなに幸せな時間をくれるこの公園は本当にすばらしい!




夏休み

今日期末試験および1学期最後の授業が終わりました。

わ~い、待ちに待った夏休みだ~!!!

大学時代のゼミの先生が以前、4月で新学期が始まったばかりだというのに「私はもう夏休みを待ち焦がれています」と言っていたのを「なんだ?」と思って聞いていましたが、今は先生の気持ちがよくわかる!

本当に夏休みが待ち遠しかった。

この4月からは新しい授業もあり、Yuriを保育園に入れたこともあって新たな生活リズムに慣れるまで少し時間がかかり、2回も風邪を引いてしまいました。子どもを保育園に預けているのだから楽になって授業の準備できるでしょ?と思われるでしょうが、実はあっという間にお迎え時間が来てしまう!しかも保育園に預けることによる送り迎え、搾乳、保育園との連絡や登園準備などの手間も付随して発生するので、集中して時間の使い方を工夫しないと、思ったほど授業準備の時間は取れないのであった。今は水~金は3時にお迎えしているというのもある。

新たな生活が少々ハードだったことに加え、昨年まで博論でやりたいことを抑えていたのが、今年になってうわっと開花して、土日に張り切りすぎて目いっぱい遊んでしまい、月曜日に疲れているというのもあった・・・ははは。
本当に土日よく遊んだなあ。毎週のようにYuriを連れてあちこちの公園に行ったり、動物園、ハーブ教室、芸術の森、講演会、etc. その度にYuriは連れまわされていたが、元気に付き合ってくれた。カッパさんに「あまり土日張り切りすぎないように。少しゆっくり過ごしたら」と言われるのだが、木曜金曜くらいになるとうずうずして「週末どこそこに行かない?」とすぐにアイディアが浮かんでしまうのであった。遊ぶアイディアならいくらでも浮かんでくるのだよ(笑)。

ところで夏休みの抱負ですが、以下の3つです。

1.2学期の授業の準備(2学期も新たな授業があるので、その準備と、これまでの授業を改善するために本を読んだり授業方法を考えたいです)
2.お世話になったご無沙汰している人たちへ連絡(特に博論でお世話になった方々やベトナムでお世話になった村の人たちに近況報告)
3.家の片付け(昨年引越ししたときの荷物がまだ片付いていない!)と整理

これらのことを夏休みにやって、研究も含めこれまでの自分のやってきたことを整理して、今後の仕事や生き方を考え、秋以降に備えたいと思います。

2013年7月19日金曜日

散歩の楽しみ

保育園の送り迎えも含めYuriを連れて近所をよく散歩するようになって楽しいのは、季節の花をこれまで以上に身近に観察できることです。ときには、道端の花をちょっぴり失敬していただいてくることも。今の季節きれいなアジサイ、タチアオイ、ラベンダーがうちの食卓を飾ってくれています。
 


2013年7月10日水曜日

一歳になりました。


昨日Yuriは一歳の誕生日を迎えました。
誕生日を迎える数日前から「1年前の今日破水したんだよ」「1年前のこの時間ステーキ作りながら陣痛が始まったんだよ」などとカッパさんと思い出を語りあっていました。
昨日の朝は「去年の今頃ママはお腹が痛くて大変だったんだよ。Yuriponも一生懸命ママのお腹から出ようとがんばっていたんだよ」とYuriに話しかけました。

昨日は非常勤の仕事でいつもどおりの1日でしたが、仕事から帰ると保育園からいただいたというかわいいアルバムが。保育士さんが忙しいなか一生懸命作ってくださったアルバム、たくさんの笑顔の写真がかわいく飾ってあって、Yuriの手形もあり、身長(72.1cm)、体重(9.96kg)まで記入してありました。そして担当のIzumi-san(保育士さんのことを名前で呼ぶ)の「Yuri-chanに会えて本当に嬉しく思っています」というメッセージが。私たちもIzumi-sanに会えて本当によかったです。いつもいつも優しく愛情をもって接してくださるIzumi-san, Mai-san, Mariko-san, どうもありがとう!

 

2013年7月5日金曜日

パプリカチキン


『きょうの料理』7月号に載っていた高山なおみさんのパプリカチキン、簡単で美味しいです!チキンのお供はワインではなく、炭酸水にこの間作ったイチゴジャムの灰汁取り水をちょっぴり落として甘口に。

2013年6月9日日曜日

ビニールシートのうえでこんにちは

気持ちのよい季節になりました。
近くの公園でYuriをビニールシートのうえに座らせました。地面に座らせると草を触ったりして自然と触れ合えるので。Yuriは散歩している人たちに手を振って愛想を振りまいていました。赤ん坊がこんな感じで座っていると、道行く人たちもニコニコしてくれます。
 

トランスパレントスター

生活クラブのイベントでHさんが教えてくれてトランスパレントスターを作りました。早速家の窓に飾ると、光が透けてとてもきれい。窓を眺めるのが楽しくなりました。

2013年5月17日金曜日

母の日

この間の日曜日は母の日でしたね。
母に母の日コールをしようと思っていて忘れてしまったので、次の日
「昨日母の日だけど電話し忘れたから」と電話したら
「えっ昨日って母の日だったの?!」と聞かれ
こちらのほうが間違えたかと驚いてしまった。
母は1日演奏会などで忙しく、しかも誰も母の日を祝ってくれなかったので(笑)、忘れていたそうだ。
 
母の日の前日、スーパーの花屋さんの前でカッパさんが
「明日は母の日だね、smちゃんもお母さんだからカーネーションもらえるんだよ」
と言ってきた。
そうか、これまで母の日はあげるものとばかり思っていたけれど、私もお母さんになったから何かもらえるのか!
 
で、カッパさんの母の日のプレゼントは、カーネーションではなく、ノンカフェインコーヒーだった(笑)。
Yuriは、私に母の日のチューをしてくれた!
いつも私がチュッチュッチュッチュッと飽きずにほっぺにチューしているので、Yuriも私にチューし返してくれたのだ。
いやー、子どもってすごいなあ、こちらがチュッチュッしていると、まねしてくれるなんて。
自分がただただ目の前のYuriがかわいくて、しないではいられなくてチュッチュッしているだけなのに、Yuriも同じようにチュッチュッしてくれるなんて、思いがけないプレゼントをもらった気分です。

 
近所の小学1年生のお兄ちゃんと遊ぶYuri

2013年4月29日月曜日

風邪ひき妻にスーパーハズバンド

GWに入りましたが、こちらはまだとても寒いです。今日はみぞれが降ったし、家の中はまだストーブをつけています(あまりに寒いので昨日灯油を買い足した)。今年は例年に比べて、クロッカスの咲き始めやフキノトウが顔を出すのも4月下旬と、春の出足はゆっくりです。
天候が不安定なので、私も1週間前に風邪を引いてしまいました。

この1週間を振り返ると・・・

お風呂を出て悪寒を感じたのが先週の日曜夜、夜中には、39度近くの熱が出て、またインフルエンザか?と思い月曜日朝一で近くの内科を受診、検査すると陰性、薬を飲んで様子を見ることにする。いつもは3時に保育園お迎えしているが、この日は6時前まで預かってもらうことに。私がダウンしているので、カッパさんがフル稼働。保育園へ送った後、家に戻って洗濯、洗濯物干し、その後出勤(しかもYuriのお迎え時間に間に合わせるため職場から直で保育園にいけるよう、2キロ先のバス停まで強風の中チャリで行く)、仕事の後保育園お迎え、Yuriに離乳食を食べさせ、お風呂を洗ってYuriをお風呂に入れ、夕飯の用意をし、片付けをし・・・という具合にいつもにも増してスーパーハズバンドぶりを発揮してくれました。

火曜日、朝熱をはかると平熱だったので多少ふらふらするものの、急に休講にするのは悪いので仕事に行く。しかし、予習が不十分のため、授業は不出来で反省。
今年初めて二部を持つことになったが、二部の学生さんたちがとても素直で楽しい子ばかりで、いろいろ質問してくれて楽しい。授業が終わった後一人の学生さんが「この授業が一番わかりやすい、すぐに質問できるし!」と。もう一人の学生さんが「これからも少数精鋭で行きましょう!精鋭かはわからないけれど(笑)」(この授業の受講者は6人)とてもよい雰囲気でこちらも楽しい、授業が終わったらすっかり体のふらふらは治って元気になっていた。

木曜日、在職証明書など書類を揃えて、区の保健センターへ。4月から保育所に入所できたものの、非常勤の仕事だけでは保育所入所要件を満たさなかったので、4月からの特別研究員の証明書と仕事の内容やスケジュールについて説明した申立書も作成して提出。窓口の人は「お母さん、これではだめなんです、週3日、20時間以上仕事していないと」を繰り返し、続けて上司の人が出てきて「家で仕事しながら子どもを見られないんですか?」などとのたまう。これに対し非常勤の仕事は行って帰ってそれで終わりというものではないこと、準備や提出物のチェックに講義の何倍もの時間がかかること、それらは子どもを見ながらではできないことなどを説明したら、最初のうちのしぶっていた態度があっさり変わって、個人事業主ということで書類を記載すればokということで認められた。やれやれ・・・生活保護と同じでまずは窓口で追い払うのかな?

金曜日、夜6時からのアーサー・ビナードさんの講演会へ行く。カッパさんは金曜日は出勤するが、この日はたまたま家で仕事する日だったので、Yuriを見ていてくれるとのこと(講演会には託児もあったが、保育園の後夜遅くまでYuriを連れまわすのは避けたかった)。アーサー・ビナードさんの講演は、一度聴いたことがありとてもよかったので、札幌に来られるのを知ってぜひ行きたかったのだ。『三人寄れば<もんじゅ>を止める知恵』という題で、広島の「ピカドン」の話から始まって(ビナードさんは、ヒバクシャが使うピカドンという言葉から生活者の視点で核を見ることを知ったという)、原爆投下後広島はいつから住めるようになったのか、原爆投下候補地だった京都が候補からはずれたのはなぜ?長崎の原爆の話など、<核>の話から最後は<もんじゅ>に行き着く。ペテンたちが作った<定説>を見抜かなきゃ、騙されちゃだめだよ!というビナードさんの熱いメッセージで会場は熱気に包まれる。ビナードさん熱が入っていて講演30分以上もオーバーしたのだ。あぁ、ちょっと無理してでも行って本当によかった!
帰ったらカッパさんがYuriを既に寝かしつけてくれていた、ありがとう・・・。

土曜日、子ども劇場の地域公演にYuriと行く。劇団風の子の新聞紙やビニールを使った遊びのお芝居、赤ちゃんも見られる!Yuriも私のひざの上でじーっと舞台を観ていました。新聞紙という身近なものでこんなに遊べるんだ~発想が豊かだなあ~遊ぶってすごいことだなあ~。お芝居が終わった後は、役者さんも含めて皆で一品持ち寄りの昼食(私はおにぎり持参)。そこで皆で感想も一言ずつ伝えられてよかった。
小学生の子たちがYuriを見て面白い顔をしてくれたりすごく興味をもってくれる。小学校6年生の男の子がYuriのほっぺをさわりながら「これあり得ないですよねぇ」って(笑)。あり得ないくらい落ちそうなぷくぷくほっぺだねという意味でおかしかった。もう一人の6年生の男の子がYuriを抱っこしてくれたり、皆異年齢で遊ぶことに慣れているから、こんな風に小さい子に興味をもってくれたり遊んでくれたりするんだね。嬉しいな~
Yuriの落ちそうなほっぺは私も大好きで、毎日チュッチュッしている。

そして日曜日、のんびりYuriと見つめあいながら微笑みあったり、Yuriが嬉しくて腕をばたばた上下させるので、私もYuriに向かって腕をばたばたさせたりして遊んだ。Yuriはこの1週間でこれまでしなかった寝返りもするようになったし、ずり這いもすごく得意になってあちこち移動できるようになり、「ママママママー」と言うようになった。どこまでママが私と認識しているのかわからないが。

2013年4月10日水曜日

4月は親も子もタイヘン!

先週からいよいよYuriの保育園も始まり、私も昨日から新学期、新しい授業が始まりました。

Yuriのプラム組は、全部で6人、7ヶ月から1歳2ヶ月までのお友達がいます。先生は3人。
最初の2日間は母子登園で、保育園で2時間、親子一緒に過ごしました。
一緒に過ごしたことで、クラスのお友達のお名前や顔も覚えられたし、お母さん同士も
知り合いになってよかったなぁと思います。給食の試食もあった。
3日目からは預け保育が始まり、少しずつ預け時間を伸ばしていきました。
先週1週間は、こちらも新しい生活に慣れるのに精一杯で、ほとんど仕事はできず、送り迎え(片道徒歩15分)、搾乳、先生とのやり取り、連絡帳書き、持ち物用意などで1週間終わったら親の方が疲れていたかも~
6時まで預けられますが、しばらくは授乳があるので、授業のある日以外は、3時にお迎えするつもりです。

とてもアットホームな雰囲気の園で、先生方もふんわりした雰囲気、教室もレースのカーテンがかかっていたり、木のおもちゃ、手づくりの連絡帳入れなど全てが心地よく配置されています。園の方針として、家庭らしい雰囲気を大切にするとありましたが、家庭よりも家庭らしいかも。
教室の入り口には福音館の今月の絵本が飾ってあり(園でとってその後園児にくれる)、手づくりの羊毛フェルトでできた赤ちゃん、小さなお花まで飾ってあり大人も心が和みます。離乳食もそれぞれ進み具合に応じて、栄養士さんが個別にメニューを作って対応してくださり、一人ひとりを大切にした細やかな対応に、この園にお願いしてよかったなぁと思いました。

Yuriは早速担当保育士さんの顔を覚え、目が合うとキャッキャッと声を出して笑います。抱っこが好きなYuriですが、徐々に下で遊ぶことにも慣れ、保育士さんと一緒にわらべ歌を歌って舌を動かしたりしているそうです。
Yuriが比較的早く保育園に慣れたのは、これまで私があちこち連れて行っていろんな人に会わせていたからかな~と思います。特に、生活クラブの運営委員の集まりでは、託児してもらうことも多く、いろんな方が抱っこしてくれたり、遊んだりしてくださったおかげかもしれません。

今は「小さい頃から保育園に預けるなんてかわいそうだ」というようなことを言う人は、あまりいないのかもしれませんが、確かに産まれてから1年も経たない子、まだまだ母親とべったりしていたい子どもが、すぐに慣れるとはいえ、日中長い間家庭以外の場所で過ごすのは大変なのだと思います。もちろん保育園に行ったほうが、お友達と遊べたり、散歩にたくさん連れていってもらったり、よい面もたくさんあるのですが、子どもががんばっていることも確かでしょう。

だから、私もYuriを預かってもらっている時間、精一杯がんばって仕事をしたいと思います。

講義の方は、これまで100人以上の大人数のクラスばかりだったけれど、今回は予想したよりずっと少人数でできそうなので、大人数ではできなかった参加型スタイルも取入れながら(まだまだ試行錯誤しながらというのが正しいのですが)やっていきたいと思います。

4月は親も子も新たな生活に慣れるまで大変だね、でも一緒にがんばろうね。

2013年3月30日土曜日

戻りました

昨日私とYuriは2週間ぶりに実家から戻り、カッパさんは無事ドイツから戻りました。
雪はだいぶ溶けたものの、まだ歩道にも雪がけっこう残っていて、バス停からの帰り道、雪を避けて歩く道を選びながらベビーカーを押して帰ってきました。

今回もまた楽しい帰省でした。箱根旅行、大学時代の先生の退官パーティー、高校時代の友人との再会、前回会えなかった友人にも会えたし、そうそうゼミの友人Junko-san出版した本も手にすることができた(Junko-sanおめでとう!あとがき、どうしてラオスの研究するようになったのか、自分史のような感じで面白かったよ)。それから懸案だった実家の片付けもVabooという配送料無料で買い取ってくれる会社のおかげで、少しは進んだのだ(実家に溜めていた本を見ていたら、読みたい本は多いけど、人生は短いなぁと思った)。

札幌に住んでいても、東京近辺に住んでいる家族や友人たちと変わらず楽しい時間を過ごせるのは、私にとって何より嬉しいことです。それもこれも、皆のおかげですね。

来週からYuriの保育園が始まり、私も4月から新しい講義を受け持つので、少し生活が変わりそうです。
これからやってくる北海道のすばらしい季節をYuriと一緒に過ごせるのが楽しみ~

2013年3月25日月曜日

2012年の10大ニュース

今頃ですが、昨年の10大ニュースを考えてみました。

1.Yuri誕生&初めての子育て
昨年の1位は間違いなくこれ!
子どもが生まれ、親になるということが、これほどまでに喜びをもたらしてくれるとは・・・、といまでもしみじみと噛み締めてしまいます。
カッパさんと2人で乗り切った出産、妊娠中本当に赤ん坊がいるのか実感がわかなかったが、痛みの中ふんばり続けた後、突然痛みが消えてふと目を移すと赤子が泣いていたのにはぶったまげた!私とカッパさんは感動で号泣。
入院中、隣に寝ている赤ちゃんに私はすっかり心を奪われ、赤ちゃんがかわいくて涙ぐんだりしていた。一緒に退院してから2日後、Yuriだけが新生児黄疸でもう一度産院に入院しなくてはならなかったときは、一人で家に戻ると寂しくて抜け殻のようになってしまいました。この世に生まれてきたばかりなのにものすごい存在感、Yuriは私にとっていなくてはならない人になったのです。

1年前はお腹の中にいたのに、今年はもう皆とお花見しているなんて不思議
 
 
10大ニュースの続きはまた次回に・・・


2013年3月19日火曜日

家族旅行

おととい昨日と箱根へ1泊旅行へ行ってきました。父母、姉家族、弟家族、私とYuriと、カッパさんを除く家族全員が勢ぞろい。大人7名、子ども5名のにぎやかな一行でした。
 
1日目は、桃源台からロープウェイに乗って大涌谷まで行き硫黄の香りを存分に浴び、2日目は箱根園の水族館や動物ふれあいの館で1日楽しみました。さらに帰りに海老名のパーキングエリアで買い物にはまった(今なかなか自由に買い物できないので、買い物に飢えているのだ・・・)!
 
我が家らしい珍道中ご一行様でしたが、皆で無事楽しく行けたのがよかったです。帰りの車の中で甥っ子のホタッチが「楽しいのはすぐに終わっちゃうね」と。楽しい時間はあっという間だね。また来年のこの時期帰省するような気がするので、皆で旅行に行けたらよいなあ。
 
 
最年長のホタッチ(5歳)からYuri(0歳)までいとこ5人でパチリ

2013年3月15日金曜日

これから上京

カッパさんが留守の間、積極的に外に出ようと予定を入れていたら、毎日外出することになってしまい、なんだかだと忙しかったです。カッパさんが帰ってきてからも毎日出かけていたかな・・・ふぅ

これから新千歳に向かってまた上京します。
東京はもうすぐ桜が咲くんだそうな・・・

こちらはまだまだ雪がうず高く積みあがっていて、春は遠し・・・です。
札幌に戻ってくる頃には雪が溶けているといいな~

2013年3月2日土曜日

お雛様飾りました

明日、3月3日はYuriの初節句です。
ですが、カッパさんが出張でいないため、戻ってきてからお祝いすることにしています。
 
この間帰省したときに買ったお雛様が、初節句の直前の昨日届きました。お雛様を買うかどうかは、少し迷ったのですが(私のお雛様をYuriのものにしてもよいかと思ったりもして)、デパートに見に行くとやはりYuriのためのお雛様がほしくなり、購入したのでした。そして今日、Yuriが昼寝している間に、ダンボールから出して飾りました。
 
今日は外は猛吹雪ですが、お雛様を飾った一角だけは、春がやってきたように華やぎました。
カッパさんが帰ってきて見てくれるのが楽しみ。
 
 
「春麗雛」というお雛様。
着物が黄色と水色という、春らしい色使いで気に入った
 
顔立ちは地味だけど、下ぶくれの古風な顔で品がある
Yuriも下ぶくれさんなので合うかなあと思う


2013年2月28日木曜日

パパ行ってらっしゃい!

早朝5時、カッパさんがまたドイツへ出かけていきました。
先週の土曜日ドイツから戻ってきて、まだ時差ぼけも完全に治らないまま、またドイツへ出発です。
8日間私はYuriと2人で過ごします。
実は、私がYuriと2人で過ごすのは、今回が初めて(もちろんカッパさんが日中仕事に出ている間、2人というのはよくあることだが)。
子育てはだいぶ楽になったものの、この雪に包まれた札幌で2人というのは、少々心細い。
なので、2人で家の中にこもりっきりにならないよう、この間はなるべく他の人と接することができるよう、いろいろ予定を入れました。ちょうど明日は生活クラブのベビーマッサージがある!来週は知り合って間もないママ友が遊びに来てくれる!充実した1週間になる予感・・・
 
これまでYuriをお風呂に入れるのはいつもカッパさんで、私はYuriの洋服を脱がせてお風呂へ連れていき、また引き上げるという感じで2人で分担してやっていたので、一人で全てやるのは少々大変でしたが、まあなんとかなりました。
お父さんの帰りが遅く、一人で子どもをお風呂に入れているお母さんはとても多いと思う。皆よくやっているなあ。
 
子育ては一人ではできないなあとつくづく思います。 
 

大好きなカッパパパ、早く帰って来てね!

2013年2月24日日曜日

札幌に戻りました

1月30日から実家に帰省していましたが、今日また札幌に戻りました。
ドイツに出張に行ってたカッパさんも昨夜帰宅し、今日バス停で迎えてくれました。
 
実家で父が「カッパ父さんのこと忘れちゃったよなー」と何度もYuriに話しかけていましたが、Yuriはしっかりカッパ父さんのことを覚えていたようで、カッパさんが笑いかけるとにこっと笑い、カッパさんがあやすとキャッキャッ大喜び、家に帰ってからも久しぶりの3人が嬉しいのか超ご機嫌でした。カッパさん曰く「産まれてからずっと夜中も抱っこしてあやしてあげたんだから忘れるわけないよ」
 
今回の帰省は、到着してすぐにインフルエンザ、回復してからは非常勤の採点の仕事と2週間くらい何もできず、最後の1週間でようやくやりたいことができました。先生にも挨拶できたし、久しぶりにめがねも作ったし、何年も会っていなかった友人にも会えたし、産まれたばかりの赤ちゃん(michi-sanとkokin-chanの)にも会うことができました。それから、Yuriの初節句のためのお雛様も買ったのだった。会えなかった友人もいるけれど、それは次回の楽しみに取っておくことにして、大体の目的はできたのでよかったことにしよう。しかし大事なことで出来なかったことは実家の片付けだ(母が文句を言ってます・・・・)。
 
考えてみれば、ここ数年博論で気忙しく年末年始以外はほとんど帰省しなかったし、帰省しても用を済ませたらすぐに帰ったりしてゆっくり友人たちと会うということはできなかったのだ。今回の帰省は、用があるから帰るというよりは、カッパさんが出張するから帰るということで3週間とちょっとという長い期間実家で過ごしたのも久しぶりのことだった。
 
久しぶりに長く滞在した実家はちらかっていて文句を言っていたら、母に「札幌の家がきれいになっているのはカッパさんのおかげでしょ。smちゃんだけだったら汚くなっているはず。そもそもこの家を汚くしたのはsmちゃんだよ」と言われ、そうかもしれないけれど、ノートパソコンが床に直に置かれていたり、テーブルの約半分にいろんなものがおかれて使えなかったり、ベランダにシンビジウムの鉢がいくつも置かれて洗濯物を抱えて通るのが非常にやっかいだったり、しょっちゅうシャモジが行方不明になったりと、私には理解不能な不思議なことが多い家だとつくづく思ったが、でも私が大きくなった家なのであまり文句を言ってはいけないと心の中では反省した。私たち(姉と私と弟)は家を出てしまったが、両親はこの家で私たちを育ててくれてその後もずっと住み続けているのだ。ちょっとやそっと散らかっていても普通に住み続けている両親ゆえ(?)私たちが行っても非常に寛容におおらかに迎えてくれているなあと感じた。
 
父は毎日きんぴらやら切り干し大根やら料理に精を出してくれ、おかげで私は実家に滞在中一切料理をしなかった。ご飯をといだのも1、2回か?(それなのに私は毎食2杯ずつご飯を食べるので、父や母がしょっちゅうご飯を炊いてくれた)。
さらに父は毎日のようにYuriをお風呂に入れてくれ、私がインフルエンザのときはYuriを散歩に連れていってくれ、朝私が眠いのでYuriをリビングに置いて寝ている間抱っこしててくれたりした(母に赤ん坊を置いておいて自分だけ寝ている母親も珍しいと言われた)。母はいつもYuriに「Harukoば~ばのこと好きでしょ」とYuriに話しかけ、あやしてくれた。おかげで、Yuriも両親に慣れて、いつもニコニコして雄叫びを発してのびのびしていた。
 
また来月カッパさんがドイツに出張するので、実家に2週間ほど滞在します。
 

札幌は気に入っているし友人も少しずつ出来始めたけれど、仲のよい友人たちはほとんど首都圏に住んでいるし、家族も向こうなので、やっぱり東京近辺に住んだ方が皆にしょっちゅう会えてよいなあと思ったりもします。でもたぶんこれからも札幌に住み続けるんだろうなあ。
 

今夜はカッパさんがドイツで買ってきたソーセージ、
ザウワークラウト、黒パン、じゃがいもなどで食事

2013年2月20日水曜日

卒業

今日は、大学へ行って指導教官と副ゼミの先生に挨拶してきました。
私は結局学位授与式にも出席できなかったし、札幌に住んでいるため、先生とのやり取りはメールが主で、直接先生にお礼を申し上げることができないことがずっと気がかりだったのです。
先生にお会いして、博論審査と長年のご指導のお礼を直接言うことができて、これでやっと「卒業したのだ」という気持ちになりました(副ゼミの先生の「出産と博論という両方とも生み出すものをほぼ同時に成し遂げた。博論とお子さんは双子のようなもの、お子さんが大きくなったら話してあげるといいですよ」という言葉に、先生の温かなお人柄を感じて感謝の気持ちでいっぱいになりました)。

考えてみれば、私は某大学に10年半ほど(!)在籍していましたが、実質的に国立に通っていたのは、修士の1年半と、博士課程の2年少しほど。あとはベトナムにいたり、札幌にいたりしたのです。
それでも今日国立の大学通りをベビーカーを押して歩きながら(Yuriを連れていった)、ここに来ようと決意したときのことや、院生時代の思い出がよみがえってきました。こんなに長く院生生活を送ったわりには、学問的な成果はほとんどあげられなかったのですが、でも今の自分にとって欠くことのできない大切な人たち――大好きなゼミの友人や先輩、院生寮の友人、大学を超えた研究仲間、そして留学先のベトナムの先生や友人たち、調査地の人たち――に出会えたことが院生生活の一番の“成果”でしょうか。

そういえば(というとおまけのようだが)カッパさんともここで出会ったのだった。

2013年2月19日火曜日

ちっちゃいnew born baby

2月1日に産まれたばかりのmichi-sanの赤ちゃんを見に行ってきました。
(赤ちゃんはmichi-sanの3人目のお子さん、おめでとう!)

赤ちゃんを抱っこしてびっくり、こんなに小さかったの?!
Yuriも7ヶ月前はこんなに小さかったんだなあ~と思うと、この間の成長ぶりが実感できて感慨深かったです。
 

かわいいMay-kunと
Yuriの大顔は貫禄ある?
(2人は同じ学年になります。これからの成長が楽しみです)


2013年2月7日木曜日

学位記

大変長らくご無沙汰しています。
2013年も明けて早1ヶ月以上過ぎました。
1月末より実家に帰省して、さあいろいろやろうと思った途端インフルエンザにかかってしまいました。幸いYuriには移らなかったので本当によかったです(これからはインフルエンザのワクチン打たなきゃだめですね。予防接種打つようにwin min tanさんからアドバイスもらっていたのに受けなかったのが悔やまれる・・・)。今はすっかり熱も下がり咳もほとんど治まりました。
 
2012年のさまざまな思い出深き出来事は、時間のあるときにゆっくり述べることにして、今日は年明けに受け取った学位記の写真をご報告がてら載せることにします。
 
2012年11月、無事学位を取得しました。
学位授与式には結局出席せず、郵送で学位記を接受しました。
 
その学位記を手にして、いつも家で着ているトレーナーにYuriを抱っこというスタイルですが、これが私の長い長い第二の学生生活の記念すべき修了写真となりました。