2013年10月23日水曜日

「メメ」とは「めし」のことだった・・・

その後Yuriは落ち着いて、おっぱいをほとんどせがまなくなりました。
そして、食べること食べること、まるで欠食児童のようによく食べます。
 
これまでYuriはしばしば私のことを「メメ」と呼んでいたので、私は「メメってママのことか。ママのことを呼んでくれているんだ嬉しいな♪」と思っていました。この「メメ」とYuriが言うのが本当にかわいいんです。ところが、断乳してわかったのは、「メメ」とは、私のことではなく、「めし」のことだったのです!おっぱいがなくなったと分かった途端、私のことを「メメ」とは呼ばなくなりました(笑)。
 
代わりにパンとかシチューとか、大根とか、お豆腐とかを、「メメメメ」と盛んに叫んでいます。「お腹がすいた、メシくれ」という状況のときも「メメ」と言います。今やパンが「メメメメ」と求められているのを見ると、「そっか、私はパンと同じか・・・」と苦笑してしまいます。
 
おっぱいをあげているときは、カッパさんがいくらかわいがったり面倒を見たりしても、私の方になついていたので、カッパさんは時々嫉妬して「ママが好きっていうより、おっぱいが目当てなんじゃないの?」と言っていたのですが、図星でした。Yuriの目当てはおっぱいだったのです!!まあ、それだけおっぱいが好きだったということで、よいことではあるか。
 
それにしてもよく食べます。満腹中枢が壊れているのではないかと思うくらい食べます。今日も2時半に保育園で雑炊を完食したというのに、3時にお迎えに行って公園で遊んでいると「メメメメ」と腹っぺらしのYuriでした。家に帰るとかぼちゃをもりもり食べました。
 
一心不乱に食べるYuri

 
かーちゃんこれからメシ作りに精を出すよ


2013年10月19日土曜日

食べる食べる

断乳以来、Yuriはすごい食欲です。
今朝も、起きた直後からお腹がすいていたのでしょう。
朝ご飯は炊き込みご飯に豚汁、五目豆、よく食べました。五目豆はスプーンですくいやすいので、自分でスプーンを持って食べました。それから私たちの食べているパンをほしがるのでパンもたくさん食べました。
 
昼ごはんも同じく炊き込みご飯と豚汁、ほうれん草。
 
今日は午後子ども劇場の焼き芋会があったので出かけました。Yuriはそこでも食べること食べること。焼き鳥をほとんど2本たいらげ、その後さつまいもも口にほおばり、あまりに口に入れすぎて飲み込めなくなるほどでした。
 
家に帰ってからまたお腹がすいたと泣くので今度はパン。
 
夜ご飯は炊き込みご飯、カブと厚揚げの煮物、小松菜の澄まし汁、これもけっこうな量をたいらげた後、私たちが後からご飯を食べているとまたよこせとせがみ、厚揚げ、カブ、ちらし寿司も食べました。
 
よく食べるぅーーー
これからYuriのご飯やおやつの用意がんばらなきゃ。おっぱいは楽だったなぁ。
でもYuriも食べる楽しみがわかってきているようなので嬉しい。
 
ちょっと心配なのは、断乳して以来、Yuriの顔色があまりよくないことです。
おっぱいを飲んでいるときは、手も足も体の先までぽかぽかして、顔もりんごのほっぺのように血色がよかったのに、今は手足も冷たいし、顔色もあまりよくない。母乳を飲むことは血行をよくすると助産師さんが言っていたけれど、これほど違うとは。断乳してから、母乳をあげられることがどんなにすばらしく幸せなことか、つくづく感じます。本当はもっとあげたかったけれど、でもこれまでも十分あげてきたのだから(と自分に言い聞かせています)、これからはYuriの食事作りをがんばっていきたいと思います。

 
最後の授乳の後眠るYuri
このときもほっぺが赤いです
 
 
断乳の後、私が寂しくなり、保育園の連絡帳に「パパっ子になってしまい寂しい。おっぱいがなくなってママはいらなくなったのか・・・」と書いたところ、Yuriの担当の保育士さんが「お母さんの寂しいお気持ち察します。ゆりちゃんにとって大好きなお母さん、この世で一番大切な存在だと思います。ゆりちゃんとの時間をたくさん楽しんで過ごしていければよいですね」と書いてくれました。Yuriの連絡帳が私とIzumi-san(担当保育士さん)との交換日記のようになっていますが、こんな風に書いてくれてとても励まされました。周囲の友達にも「おっぱいがなくなってママのこと嫌いになったのかな?」とこぼすと「お母さんのこと嫌いな子はいないさ。自信を持ってがんばって」と。
周りの人たちに支えられて子育てできているなあと感じます。


2013年10月17日木曜日

断乳、すっかりパパっ子に

10月14日(月)、断乳を開始しました。
1歳3ヶ月での断乳です。
断乳について考え始めたのは今年の8月、Yuriが歩き始めてからです。本当は
1歳半か2歳近くまでおっぱいをあげていたかったのですが、今後のこと、断乳しやすいシーズン(春か秋)も考えて、断乳を決断しました。

しばらくご無沙汰していた桶谷式母乳相談室の助産師さんのもとを訪れ、断乳前に何度かおっぱいマッサージを受けて、心と体の準備をしていきました。また、仕事の都合やカッパさんの予定なども考えて、10月14日(月)3連休の最後の日をおっぱい卒業の日と決め、カレンダーに赤丸をつけて、Yuriにときどき「この日でおっぱいはないないだよ」と説明しました。Yuriにはおっぱいをやめる理由も話しました。

桶谷式では断乳を非常に大切にしています。おいしいおっぱいをあげて体の基礎を作ること、おっぱいをあげることによって母子の絆をしっかり作り上げること、でもある段階にきたら、これでおっぱいは終わりだよということで断乳して親も子もそれを乗り越えることによって成長するといいます。

断乳2日前の土曜日にもう一度おっぱいマッサージを受け、助産師さんが「Yuri-chan, がんばれ、おー」と片手をあげて語りかけると、Yuriもニコニコして「おー!」と腕をあげて応じていました。

日曜日の夜はカッパさんとYuriが産まれてからのことをしみじみ語り合いました。普段忙しいと子育てもぱあっと過ぎてしまいますが、断乳は乳児の卒業式(助産師さんは「成人式以上の成人式」と言ってました)私たちにとっても初めての経験です。産まれてからすぐにYuriが私のおっぱいに吸い付いたこと、退院してからはおっぱいをあげるのが大変で、特に夜はおっぱいをあげながら睡魔が襲ってきて、その後、泣き続けるYuriを夜中までカッパさんがあやしたこと、Yuriが産まれてからの話は尽きることがありません。そのくらい大変だけど、充実した日々でした(って今もそうですが、ハハハ)。

いよいよ月曜日、朝ご飯を食べてちょっと経った頃、Yuriにカレンダーをもう一度見せながら「今日は10月14日、おっぱいは今日でないないだよ。これから最後のおっぱいを飲もうね」と言って、最後の授乳をしました。授乳しながらYuriが産まれてからのことを語りかけました。新生児のときから舌をぶるぶる震わせておっぱいを飲んでいたこと、おっぱいを飲んで乳首をくわえたまま、ときどきにやっと笑っていたこと、他の人に抱っこしてもらったときに、一生懸命乳首を捜して口を横に揺らしていたこと、飛行機の中で授乳していたときに、Yuriが美味しそうな唸り声をあげていて周囲の人が不思議そうに見ていたこと、いつも保育園お迎えに行くと、保育園で授乳させてもらい、そこでいろいろお話するのが楽しみだったこと、本当に幸せな時間だったよと。左右両方で1時間、Yuriは気持ちよさそうに眠ってしまいました。その後、おっぱいにへのへのもへじの絵を描きました。これは、Yuriに理屈ではなく、おっぱいはもうなくなってしまったんだとわかってもらうためです。

お昼ごはんの後、おっぱいをほしがったのでへのへのもへじのおっぱいを見せると、Yuriはびっくりしてじーっと見て、はあはあと息をしながらもう少しで泣きそうでした。ただ、昼間はカッパさんが一生懸命遊ばせてくれたので、割合機嫌はよかったのです。問題は夜でした。

いつも夜中も2,3時間毎に授乳していたので、そのリズムが出来ていて、夜2時前に起きだして「メメメメ」(メメとはママとかおっぱいとか今ほしいものを指すようです)と叫び出し、狂ったように泣いていました。明かりをつけて、抱っこして、私はおっぱいを何度も見せました。おっぱいのへのへのもへじを見るたびに「わーん」と泣き、また洋服をおろしては、またほしがるのでまた見せて「わーん」これを何度くり返したでしょうか。だいぶ経って泣き止むと、今度はお気に入りの「ちいさなうさこちゃん」の絵本を出してきたので、読み聞かせしました。何度も何度も読むうちに、さすがにYuriも疲れてうとうとし始めたので、一緒にお布団に入って、また絵本を読んでいるうちに眠りに就きました。結局夜中3時間くらい起きていたでしょうか。

これまでおいしいおっぱいを飲ませてくれるのが当たり前だったのに、いきなり今日から飲めなくなって、どんなにショックだったでしょう。Yuriは大好きな絵本を読んでもらうことで、心をなんとか落ち着けようとしていたようです。こんなに小さいのに、こうしてがんばっていることに、私も涙が出そうでした。

翌日は私は1日仕事でカッパさんが保育園にお迎えに行きました。お昼ごはんは、これまでにないくらい、たくさん食べたそうです。保育園でもいつも持参した冷凍母乳を解凍してあげてもらっていましたが、今日からはなし。Yuriは食事が終わると調乳室を指差して「おっぱいは?」と聞いたそうです。保育士さんが「ないない」というと、「ない」と自分に言い聞かせるように言って向こうに行き、また戻ってきて調乳室を指差してまた「ない」と。それを何度かくり返していて、自分を納得させていたそうです(後で、保育士さんが涙ながらに話してくれました)。

家に帰ってくると、お腹がすいていたのでしょう、食卓の椅子に座らせろとせがみ、夜ご飯もばくばく食べたそうです。

私は仕事を終えて8時半頃家に着きました。いつも仕事が終わるとぱんぱんに張ったおっぱいをYuriに飲んでもらうのが楽しみでした。でも今日は飲んでもらえない。帰るとYuriはまだ起きていて「メメメメ」とおっぱいをせがみます。もう一度、へのへのもへじの描いたおっぱいを見せると、Yuriは「わーん」。洋服をかけると下にはいつものおっぱいがあるように見える、おっぱいを見せるとYuriはへのへのもへじはもういいというように洋服をかけて、またもう一度おっぱいをせがみ、見せると「わーん」これを何度くり返したでしょうか。Yuriももうおっぱいはないんだと徐々に受け入れ始めたようです。2日目の夜は、1時前に起きたものの、私が抱っこしてとんとんすると眠りに就きました。また5時頃置きましたが、今度はカッパさんが絵本を読んであげて、眠りに就きました。

3日目。断乳後、私は1日3回ほど張ったおっぱいを和らげるため、自分で絞っていましたが(絞っては捨ててもったいないーー)、今日は母乳相談室に手技を受けに行き、詰まったところがないよう、たくさん絞ってもらいました。助産師さんに報告して「Yuriちゃんよくがんばったね。泣きたいだけ泣かせなさい」と。

保育園に迎えに行き、帰ってくるとおっぱいをせがんだのですが、気をまぎらわせるために、お茶を飲ませ、おせんべいを食べさせました。食欲があることあること、せんべいも一人お皿を抱えてむしゃむしゃ食べていますし、それが終わると早くご飯と。これからご飯はもっと早くしなければなりません。

3日目の夜、寂しかったのは、Yuriがすっかりカッパさんになついて、私を素通りすることです。絵本もカッパさんに持っていって読めと、カッパさんのことを「メメ」とまで呼ぶ始末。これまで私のひざによく抱きついてきていて、それがとてもかわいかったのに、私のところはスルーしてカッパさんにばかりまとわり付いています。カッパさんがご飯を食べているので、私が絵本を読むよと絵本を取り上げると怒ってカッパさんに読んでもらいたいというのです。これまでは、カッパさんのほうがかわいがっていても、おっぱいがあったので、何かというと私のほうにまとわりついていたのですが、おっぱいがなくなった途端、なんと白状なのでしょう!断乳して心にぽっかり穴が開いてしまったのに、Yuriが冷たくなって、さらに寂しい母です。

3日目の夜は5時頃1回しか起きませんでした。また泣いていましたが、カッパさんがエルゴで抱っこして眠くなったところで私の布団に連れてきて、一緒に布団で眠りました。Yuriはおっぱいをほしそうだったけれど、私のパジャマのズボンの紐をいじりながら眠りに就きました。

4日目、今朝は私が保育園に連れていきまました。いつもお別れするときは嫌がって泣いていたけれど、今朝は保育士さんに抱っこされたままぼーっとして、私に手を振っていました。

徐々にYuriはおっぱいを飲んでいたことを忘れていくのかな。でもYuriはおっぱいをたくさん飲んでこんなに大きくなったんだよ。

これまでおっぱいくさいYuriの匂いをくんくん嗅ぐのが楽しみでしたが、断乳した途端、当たり前ですが、おっぱいくさい匂いはなくなりました。また、手や足の先も冷たくなっていました。母乳を飲むことで血行もよくしていたのだと思います。おっぱいを飲んだ後は、ほっぺたも真っ赤に熱くなっていたのです。

断乳は母子ともに大変つらい経験ですが、これまでたくさんのおっぱいをあげてここまで育てたこと、母子ともに濃密なよい時間を過ごしてきたことに自信を持って、これからも子育てを楽しんでいきたいと思います。