2012年11月20日火曜日

よくばり娘

指4本ほおばってます

2012年11月12日月曜日

秋刀魚の炊き込みご飯

出産してからというもの、毎食山盛りご飯2杯ずつ食べています。こんなに食べているのに、すぐにお腹がすく!しかも体重は妊娠前とほぼ同じに戻っているということは、どれだけの栄養が母乳にいっているのか!毎日夕飯のときに5合炊いて、それを夕食、次の日の朝、昼と食べ、また夜に5合炊いて・・・の繰り返しです。
あんなにパンが好きだったのに、パンではとてもお腹がもたないので、パンはたまにおやつに食べる程度です。

今日は、この間実家で父が、遊びにきた私の友人たちのために作ってくれた「秋刀魚の炊き込みご飯」を作りました。圧力鍋で炊いたら、骨まで丸ごと食べられて美味しかった~!

2012年10月14日日曜日

I love PaPa

博論最終試験のため、明日上京します。
私にとっては産後初めて、Yuriを連れての帰省です。
1週間カッパパパとお別れなので、今日はこんな服↓を着せました。

 


2012年10月9日火曜日

3ヶ月が経ちました

今日でYuri誕生から3ヶ月が経ちました。
ここ最近、育児がめっきり楽になってきました。
生まれてから1ヶ月半くらいまでは、夜中の2時3時まで絶叫して泣かれるわ、1日10回以上授乳して疲れ果てるわで、放心状態に陥るほどでしたが、それ以降、特に2ヶ月を過ぎてからは穏やかな時間が増えてきました。
今は目が合ったり話しかけたりするとよく笑い、アーエーウークゥーなどのおしゃべりも盛んで、訳分からず泣くということはなくなってきました。
 
生後すぐの写真を見返すとガリガリに痩せていて、猿みたいです(こちらも母猿になった気分で授乳してた)。いつの間にかYuriは人間の赤ちゃんになっていました。体重も出生時のほぼ2倍に。顔も手足もムチムチプクプクです。
 

Yuriの新生児期もそろそろ終わりです。


誕生1時間後のYuri
まだ羊水の香りがする
 
生後4日目
 
先週水曜日(10/3)撮影
顔も足も腕もプクプク
 
顔の下ぶくれ、もう少しシャープにならないかねぇ
 
最近は指しゃぶりしながら眠りにつくことも

2012年10月4日木曜日

ベビーバス卒業

10月に入って、やっとベビーバス卒業しました!3ヶ月近くなり、さすがにベビーバスも小さくなってきたので。
初めは私がお風呂に入れましたが、今日はカッパさんが初めてYuriをお風呂に入れました。最初はあまり自ら進んで入れようとしなかったカッパさんですが、終了後、「これなら毎日入れてもよいですよ。子どもをお風呂に入れるのがこんなに楽しいと思わなかった!」と。カッパさんは今から「何歳くらいまで一緒にお風呂に入ってくれるのかな~?」などとずいぶん先のことを気にしています。 
 
ベランダで揺れる布オムツ
左上はお尻拭き用ボロ布
(カッパさんの使い古しのパンツをびりびり破いて再利用)

2012年9月30日日曜日

小さなお友達

Yuriが産まれてから、近所にお友達が増えました。しかも小さなお友達が!

家のすぐ目の前にある公園で知り合った幼稚園の男の子。この間出かけた帰りに、ちょうど幼稚園バスから降り立ったその子が。Yuriを見て
「家に遊びに来ていいよ。僕の枕に寝かせてあげる。お母さんの布団に寝かせてあげる」

生活クラブの同じ班の人のお子さん(幼稚園の男の子と2歳の女の子)。いつもYuriに会うとにっこり笑って「Yuri-chan!」
Yuriにくれるとたくさんのおもちゃを持って家に遊びに来てくれた。Yuriがベビーベッドに寝ているのを見て「なんで2階に寝ているの?」
「赤ちゃんはなんでしゃべらないの?」
ガラガラをYuriにつかませて「あ、持った持った!」
床に転がっていた100円ショップで買ったダンベル(プラスチックのダンベルに水を入れて重くしたもの)を持って「この水を出したいなあ」とベランダの如雨露にぼちゃぼちゃ。
おやつをもっと食べたいというとお母さんが
「おかわりをくださいでしょ」と。
「おかわりください」と言う姿がとてもかわいい。
おやつを食べ終わると
「一緒に公園に遊びに行こうよ!」

小さなお友達は、思いがけない質問をして、こちらが予想もつかない行動をしてくれる。

2012年9月28日金曜日

小さな大存在

 
夜中に目が覚めて、授業の準備をした後、授乳をしていると不思議な気持ちに襲われます。
授業の準備をしているときの私の頭は、出産前と何ら変わっていないのに、Yuriの誕生によって、生活自体はがらりと変わった。この小さき生命体は、去年の今頃は、どこにも存在していなかったのに、今こんなにも大きな存在になっているなんて!
 
急に寒くなりなりました。
Yuriを抱っこするとやわらかくて温かくて気持ちよいので、
抱っこしたまま布団にもぐりこんで眠ってしまいます

2012年9月20日木曜日

保育園、布オムツ、舌癒着症のことなど

さて、近況報告を。

・初保育園

昨日から週1の非常勤の仕事が始まり、Yuriは保育園デビューしました。
保育園は家から歩いて25分ほど。もっと近い保育園もありましたが、一時保育を受け付けていなかったり、区の子育て支援センターは冷凍母乳を預かってくれずミルクになってしまったり、ゼロ歳児の一時保育は受け付けていなかったりして、方々の保育園に電話してやっと昨日の保育園(ゼロ歳児&冷凍母乳ok)が見つかりました。

預けるにあたって、一度見学と挨拶に行き、書類をもらってきました。150人定員の大規模園。園庭はコンクリートでかつ狭いですが、建物は割合新しくきれいで、先生方も感じがよく、柔軟な対応をしてくれそうな雰囲気でした。ゼロ歳児のクラスは21人で、7人の先生が見ているそうです。ゼロ歳児でも集団でたくましく育っている様子。産休明けに母親が仕事に復帰したため3ヶ月で常時預けられている子もいました。

しかし2ヶ月の子を預けて働くのは大変だった!搾乳して冷凍母乳を用意したり、哺乳瓶で飲む練習をしたり、持ち物を用意したり、肌着に名前を書いたり、書類を用意したりと・・・しかもYuriが日中も「抱っこしろ~」とびーびー泣くので授業の準備もままならない。結局授業は昨年の内容を踏襲し、夜中の授乳の合間にやっとこさでレジメを作りました。でも先生方もとても親切で、Yuriもいつものように泣いたりしたようだけど、元気に過ごしてくれて無事1日が終わってほっとしました。

=昨日の1日=
8:00-8:30 授乳
8:30-9:30  朝食と用意
9:30-9:50  授乳(保育園ですぐにお腹をすかせないよう直前にたっぷりおっぱいをやる)
9:50-10:20  出発準備
10:20-10:30  タクシーで保育園へ
10:30-10:40 先生へ預ける
10:40-11:10 地下鉄で出勤
11:10-12:15  レジメ印刷など授業準備
12:15-12:35  医務室で搾乳
12:40-15:50  授業(休み時間におにぎりをぱくつく)
15:50-16:10   図書館で次回以降の授業のための本を借りる
16:10-16:40  地下鉄で帰る
16:40-17:00  保育園にお迎え
17:00-18:00  近くのジャスコの授乳室で授乳&買い物
18:00-18:10  タクシーで帰宅
18:10  着替えと抱っこ
19:00過ぎ 帰宅したカッパさんと沐浴させる
19:45  授乳
その後私は疲れて布団で伸びていたので、カッパさんが夕飯を作ってくれる。
21時頃 夕飯、シャワー
22:50 授乳→Yuriはねんね、私もねんね

仕事中は大学の医務室にお願いして搾乳させてもらい、母乳を冷凍庫に保管までしてもらって感謝です。それでも一コマが終わる頃にはおっぱいが固くなってきて、帰る頃にはコチコチになってました。


・布オムツ開始
win min tanさん、reiko-chanからたくさんの布オムツをいただき、布オムツ一式はいつでも使われるのを待っていましたが、当初はとても余裕がなく、やっと先週土曜日から布オムツを開始しました。
布オムツはゴミが出なくてよいし、布オムツがゆらゆら風に吹かれてベランダで揺れている姿はすがすがしい、オムツかぶれもなくなるとよいことも多いが、しょっちゅうウンチのついたオムツを手洗いしたり、またおしっこがもれて肌着やバスタオルの洗濯が増えたり、紙おむつのように吸収力がないためオムツ替えの頻度が上がったり、手のアトピーが悪化したりとケアする側は余裕がないと疲れてしまう。ちょうど授業の準備や舌癒着症の手術後のケアで手一杯だったため、授業の前日と当日は紙オムツにして(うぅ、紙おむつは楽だ)、また今日から布オムツに戻しました。こんな感じで布と紙を併用しながらやっていきたいと思います。

・舌癒着症の手術
Yuriが舌癒着症と診断され、手術を受けました。
舌癒着症とは何か?
異常とか病気というものではないが、舌の下の筋肉が喉を前のほうに引っ張っているため、喉の位置が普通よりも前の方にある。そのため鼻や口からの空気の通りが悪く、呼吸がしづらい。呼吸がスムーズにできないため、体に力がはいったり、血行がよくないことが多い。母乳を飲むことは呼吸と密接な関係があり、舌癒着症の赤ちゃんは母乳の飲み方があまり上手くなく、お母さんは乳腺炎になったり、しこりができたりする傾向がある。
ただし、舌癒着症と思われる人は非常に多く、その診断や手術には賛否両論ある。Yuriはそこまで母乳の飲み方が下手ではなかったが、私とカッパは現在通っている桶谷式母乳相談室の助産師さんにも相談し、生きている限り呼吸をする、できるだけよい条件を整えてあげたいということで、手術に踏み切ることにしました。

9月14日(土)に札幌駅前の丸山歯科で、舌の下の筋肉と上唇と歯茎の間を切る手術をしました。手術はレーザーで行い、ごく短時間で終わると聞いていたが、Yuriはすごい強い力で抵抗したようで、5分くらいかかった(Yuriのものすごい泣き声が聞こえてきたので、こちらもかわいそうになって泣いてしまった)。
術後、助産師さんのもとですぐに授乳を開始、いつもよりソフトな感じの飲み方でした。
術後は毎日3回、手術をしたところにスプーンを入れて再癒着を防いだり(毎回泣かれるのでちょいとつらい)、出血防止の薬を飲んだり、ミトンを3,4日はめておしゃぶりするのを防いだりします。
手術の効果は

・抱き心地がぐにゃっと軟らかくなった(よりリラックスしているよう)
・いつも手が冷たかったが温かくなった(しかしときどきまた冷たいこともある)
・おっぱいの吸い方がソフトになり、乳首の痛みが減った(しかしまだときどき痛みが出たり、白斑が出来ることもある)
・おっぱいを飲み始めのコツコツした音がほとんどなくなった
・舌が母乳で真っ白だったが、舌本来の色に戻った
・おっぱいを飲んでいるとき顔が赤くなり、血行がよくなったと感じる
・前より短時間でおっぱいがふにゃふにゃになる。(前より早く飲めるようになっている)

手術をして思ったのは、こちらも授乳は大変だけど、Yuriもだいぶ力を入れて飲んでいたんだなあということです。何事もそうだけれど、上手に何かできるとは、力を入れたり緊張したりせずに、本人が自然に物事を成し遂げられるようになること。
私もYuriもお互いにリラックスすれば授乳はもっと楽しいものになるでしょう。

2012年9月1日土曜日

赤ちゃんはおもしろい

新しくペットを飼い始めた人が、暇さえあればペットの観察をしているように、私も暇さえあれば赤ちゃんを観察しています。
赤ちゃんと24時間一緒の生活をして面白いのは、生まれたばかりの赤ちゃんでもけっこういろんな表情を見せることです。以下は全て生後1ヶ月以内に撮った写真。

おっぱいを飲み終わってぐったり恍惚状態
(生後5日目、私の手はゲップさせるために首を支えています)

どら猫チックな笑い
(生後1ヶ月以内に赤ちゃんが見せる笑いは意味のある笑いではないそうだが、それでも笑ってくれると嬉しくてこちらは大騒ぎ)

ウフ!
 
  そして毎夜繰り広げられる怒りの絶叫

2012年8月29日水曜日

育児ってタイヘン!

産後1ヵ月半が過ぎ、この間考えていたことを一言で言うと、

育児ってタイヘン!!!

妊娠中は、もうすぐ赤ちゃんがやってくるとわかっていても、いまいち実感がわかなかったし、育児は大変だとか体力勝負とか聞いていても、いまいち何がどう大変なのかピンと来ていなかったが、経験して初めて分かることは多いですなあ。こういう大変な子育て事業を世の母親父親皆さんやられてきたと思うと、それだけで尊敬ですよ。

とにかく何がどう大変かというと

・1日合計で4時間から5時間くらい授乳してる!
・授乳の間隔(現在は大体3時間毎)が少しでもあいてしまうとおっぱいが張ってしまう!
→ものすごく拘束される!
・1回の授乳で30分、前後含めて1時間、それ終わったら次の授乳まで2時間あるが、その間ちょっと抱っこしてたらすぐ次の授乳だよ。
・おいしいおっぱいを出すために食事もずいぶん変えた!パン食はやめて3食ご飯、毎食ご飯2杯。基本的に小麦、卵、乳製品などとらず。母乳をあげるととにかくお腹がすくので大量におかずを作り食べる。喉も渇くので毎日2リットルの麦茶を飲み干す。
・今はまだ紙おむつを使っているが、それでもバスタオル、肌着と洗濯物がいっきに増えた!紙おむつでゴミもいっきに増えた!
・オムツ替えて、授乳して、抱っこして、ちょっとお散歩して、沐浴して、また授乳して、終わったらご飯作って、食べる前に授乳して、泣いたので抱っこして、急いでご飯駆け込んで、また授乳して!
・授乳や抱っこなどで肩や背中がこれまでの人生で一番こってる!

とかいろいろありますが、とにかく子どもが産まれた途端に、子ども中心の生活へと生活自体ががらりと変わること、そしてそれがひたすら繰り返しと体力勝負的なところに大変さがあるのかなあと思います。
「育児は重労働」松田先生のお言葉が身に沁みます。

それでもカッパさんが時間に自由の利く職業で、しかも超まめな性格と来ているから、今夕飯作り以外の家事、掃除洗濯などは全てカッパさんがやり、私は赤ちゃんのお世話と夕飯作りだけだが、それでも大変ということは、いったいだんなが忙しい会社員で1日いない人や出張続きの人なんてどれだけ大変なのか・・・?と想像するにあまりあるのであります。

毎日やってることはおっぱい、オムツ、抱っこ、そしておっぱいを作るための食事・・・・と繰り返しなので、記憶も曖昧になってきて、あれ昨日何したっけ?などとよくわからなくなってきます。

・・・しかし、上に書いたことはまだよいのだが、うちのyuri-chanの何が大変って

よく泣く

ことに尽きます。産まれた翌日から夜になると大きな声で泣いていたから、これはこの子の個性なのか?おっぱいを満足そうに飲んでうとうとして自分から離しても、その10分後には泣いている。夜はおっぱいを飲んでいるとき以外は泣いている。その泣き方が絶叫型で手足をじたばたさせて顔を真っ赤にさせて怒って泣いている。そのため、夜はいつもカッパさんと変わりばんこで抱っこしてあやして、2人で一緒にご飯を食べられる日はほとんどない。ほんと、よくこれだけ泣けるねえ、と思うほど何時間も大きな声で泣いているのです。

・・・といろいろ大変さを強調してしまいましたが、こうした大変さを補って余りあるほど赤ちゃんはかわいいのだ。赤ちゃんを抱っこして赤ちゃんの匂いを嗅いでいるだけで私は満足です。

2012年8月14日火曜日

赤ちゃんが産まれました



妊娠期間を悠長に振り返る暇もなく、7月9日(月)午後1時26分、赤ちゃんが産まれました。3158グラムの女の子です。私たちのお気に入りの公園の名前を取って「Yuri」と名付けました。7月はその公園ではゆり月間なんです。

そして、あれよあれよという間に出産後1ヶ月以上経ちました。

毎日授乳に明け暮れてあっという間に1日が過ぎていきます。
私もカッパもはじめての子育てに奮闘しています。

2012年7月5日木曜日

予定日前の最後の検診

今日は、出産予定日前の最後の検診だった。

出産予定の産院は、助産外来というのがあって(助産外来があって助産師さんが多いというのが、私がこの産院での出産を決めた理由の一つ)、希望者は20週以降助産師さんによる検診と、医師による診察を交互に受けることができる。今日は、出産予定日前の最後の助産外来なので、カッパさんも一緒に来てくれた。予定日以降の検診は全て医師の検診になる。産院へは我が家からバスで10分~15分くらいで、カッパさんの職場に行く途中にあるので、カッパさんは産院に寄ってから職場へ行くことができる。

助産外来では、助産師さんが45分くらいかけて保健相談にのってくれたり、エコーもゆっくり見て助産師さんが「かわいいですね~」などと言いながら、赤ちゃんが今眠っているとか、手を口のところに当てているとか、教えてくれる。予定日が近いので赤ちゃんの頭がだいぶ骨盤の下の方に下がってきているそうだ。

検診が終わってからは、そのまま産院でマタニティヨガのクラス。毎週木曜日の10時からヨガがあって、私はいつもヨガの前後に検診を入れて一度に検診とヨガを一緒に受けられるようにスケジュールを組んでいる。ヨガの先生はとてもおしゃべり好きな楽しい方で、最初はヨガというよりもほとんどおしゃべりに行っているようで少々面食らったが、情報交換の場にもなっていてけっこう気分転換になって楽しい。ヨガをしながら、AKBの話をしたり、キャラ弁の話、今日は先生がEXILEのコンサートに行った話をしたりしていた。それに美味しいケーキやソフトクリームのお店を教えてもらったり!!

ヨガに来ている人のなかで、私と出産予定日の近い人が2人いて、私が7月10日、9日の人、8日の人がそれぞれ1人と、8、9、10と連続していた。先週のヨガで9日予定日の人が「もう頭がすぐそこまで来てるって」と言ってたので、彼女が一番早いかもねと言っていたら、案の定、先週の土曜日に彼女は出産、今日退院間際の彼女と赤ちゃん、だんなさんにも会うことができた。とってもちっちゃくてかわいい赤ちゃんで私は大コーフン、カッパさんも呼んできてカッパさんも赤ちゃんを見ることができた。彼女はとても安産で、産院に到着してから2時間半で産まれたそうだ。助産師さんが呼吸法とかリードしてくれるので、それをよく聞いた方がよいよとか、ただ陣痛が激しくなると助産師さんの声がよく聞こえなかったりするので、立ち会うだんなさんに耳元でもう一度助産師さんのリードを言い聞かせてもらったほうがよいよとかアドバイスしてくれた。

ヨガに来る人は今日は3人、多いときでも5、6人くらい。出産した人は来なくなって、新しい人が来て、というようにどんどん顔ぶれが変わっていく。ときどき出産して入院中の人が赤ちゃんを連れてクラスに顔を出してくれるととても嬉しい。

私がヨガをやっている間、カッパさんは近くのユニクロに行って、私がもう着なかったり着古したりしたユニクロの洋服をリサイクル用に出してくれた。ヨガの後は、近くの「すき家」でお昼ご飯を食べて、近くの山田電気で冷蔵庫を見た(この産院は郊外にあるが、ユニクロ、山田電気、ホーマック、回転寿司、いろんな店が近くにあってけっこう便利)。今の冷蔵庫は140リットルで小さいので、もう少し大きな冷蔵庫を買いたいのだ。それからカッパさんはバスで職場へ向かい、私は家へ帰った。

博論の最後の仕上げで座っている時間が長かったせい+臨月に入って赤ちゃんがさらに重くなりし下にさがってきたため、私はこれまでなったことのなかった腰痛になってしまい、日に日に悪化している。普段は5分くらいで到着するバス停まで30分近くかかるはめに。カッパさんは急いでいたので先に行ってもらった。

2012年7月4日水曜日

いろいろご報告

3月以来、本当に久しぶりの更新です。

今、とても心穏やかな毎日を過ごしています。

というのは、なんとかかんとかやっと博論がひと段落したから。ただし、いろいろ手続的な面で反省点、不十分な点があり、これで終わったと胸を張っていえるような状況では全くないのではないのですが(出し直しなど十分に可能性あり)。

それでもここまで来るだけでも大変だった。しかもカッパさんの献身的な助けがなかったらとても私一人だけの力では、ここまでもさえもこられなかったと思う。そして、忙しいなか代理提出を快く引き受けてくれたJunko-san、いつもがんばってと応援してくれた友人や家族の支援なしにもできないことだった。

そして、もう一人のキーパーソンは、今お腹のなかにいる赤ちゃん。ブログに書きそびれていたけれど、来週7月10日に出産予定日を控え、お腹の中で赤ちゃんが育っています。彼女(女の子の予定)が来てくれて、絶対的な締め切りを設けてくれたおかげで、「とにかくやらなくては」と文字通り腹をくくることができた。確信をもっていえるのは、もし、彼女がいなかったらまだチンタラ書いていただろうな~ということです。

ということで、博論に関しては「こうすればよかったああすればよかった」と悩むことはあるものの、今は、杏仁豆腐やカステラを作ったり、赤ちゃん用品をやっと買いに行ったり、その帰りにジンギスカンを突如食べに行ったりして「あぁ、こんな日々を待ち望んでいたんだよ!」というような時間を過ごしています。

出産までのわずかの間、これまでのマタニティライフのことなどぼちぼち書いていきたいと思います。

2012年3月20日火曜日

これぞハンバーグ

夕飯の写真をブログに載せなくなってしまってから久しいですが、今でも毎日一応夕飯時には写真を記録として撮っています(全部を載せる時間がなかなかないだけ・・・)。

最近作ったハンバーグが美味しかったのでこれだけ特別に載せることにします。
『暮らしの手帖』に載っていたケンタロウさんのハンバーグ。
ハンバーグ特集の最初のページに蒸し焼きにするのが最大の特徴で肉汁を逃さない!って書いてあって写真も美味しそうだったから久しぶりにハンバーグを作ってみました。

2人分でひき肉250グラム、炒めたみじんタマネギ、卵、パン粉、ナツメグ、塩コショウなど入れて手でよく混ぜるのは普通のハンバーグと変わらず。片面を中火で焼いて裏返してから、ハンバーグの半分の高さくらいまで水を入れて蓋を閉め蒸し焼きにします。水がほとんどなくなったら、そこに水、ケチャップ、ウスターソース、日本酒、バター、しょうゆを入れてソースを作ります。ハンバーグをお皿に盛ってソースを上からかけます。

ゆでじゃがいもはじゃがいも(男爵)を切って、ひたひたの水を鍋にいれて10分ほどゆでて水を切り塩をふります。このゆでじゃがいもに上のソースをからめて食べるのも美味しいです。

なんか絵に描いたようなハンバーグが出来て、味も見た目も我ながらほれぼれです。


ハンバーグの王道!のハンバーグ定食

ケンタロウさんのハンバーグ

ゆでじゃがいも、にんじんのグラッセ、スナップエンドウ添え

キャベツと油揚げのおみおつけ

白米




カッパさんに「見て!これぞハンバーグの王道だよ」と写真を見せたら

「テーブルクロスとハンバーグが合ってるね」って。

確かに、テーブルクロス(カンボジアの市場で買った布)の色と

ハンバーグのソース、にんじんの色がマッチしてます。


さて、ハンバーグにはkokin-chanに以前もらったベトナム土産の

白コショウ(とてもよい香り~)を入れました。

この間ドイツに行ったカッパさんにWMFのペッパーミルを買ってきてもらって

やっと粒コショウがひけるようになったので。

ドイツのキッチン製品て大きいものが多くて、これも想像したよりずいぶん大きく

またずいぶん粗引きでした。
写真手前は毎年ドイツで買ってきてもらっているロゴナのリップクリーム。



卒業式の季節

カッパさんは今年の卒業生から紫のバラの花束をもらい、

たいそう喜んでいた

2012年2月23日木曜日

はっしーの博論出版

はっしーから博論出版のお知らせが届く。

はっしーは院生寮の友人、2年前に博論を出してこのほど博論を本にして出版した。はっしーの長年の研究成果がこんな形になって嬉しい、装丁も素敵だし本当によかったなと思う。

院生寮にいたとき、はっしーと、しょっちゅう補食室で一緒にご飯を食べながらおしゃべりをしていた。はっしーは洗面台の下まで本で埋まっているような、ものすごい勉強家で研究大好きで時間を忘れて研究に没頭しているようなすごい人だが(私と大違い)、私とは妙に馬が合うところがあって、2人で話していると話が弾んでお互い興奮してしまい、周りの寮生が近づけないほど(?)であった。はっしーはとても明るくて、そこにいるだけで皆が楽しくなるような人。お料理も上手で、7階でパーティーをしたときはよく美味しい水餃子を作ってくれた。

ちなみに寮のカッパさんが元いた部屋に、入れ違いではっしーが入って来た。どうもあの部屋の人と私は縁があるらしい。

ドイツにいるカッパさんにもチャットではっしーの出版を知らせる。「カッパさんも博論出版しなよ~」と自分の博論の進行状況は棚に上げてカッパさんに発破をかけておいた。

はっしー本当におめでとう!!

2012年2月15日水曜日

カッパさん渡独、雪祭り

カッパさんは、1週間ちょっと前に
「家来生活のお暇をいただきます」
と言ってドイツへ行ってしまった。

出発の際に結露対策、ゴミの出し方などカッパさん手書きのメモを受け取る。
いつもはカッパさんがいろいろやってくれるのでどうしても頼ってしまうが、自分ひとりだと案外私もきちんとやるものである。カッパさんに頼りすぎてはいけないと毎年この時期になると思うのだが、カッパさんはどうも依存心を育てるのが上手すぎるのだ(と、カッパさんのせいにする)。

そしてこの間雪祭りがあったので見に行ってきた。
今年は例年に比べてあまり見ごたえなかったかな・・・こちらが毎年見ているので慣れてきたというのもあるけれど。そうそう、気温が上がった日に一つの雪像が倒れて観光客の方が怪我をする事故があったそうです。


一番よかったのは会津の鶴賀城

近くのブースで福島の人たちが観光に来てキャンペーンをやっていました


雪の水族館





タージ・マハル


なでしこジャパンの沢の雪像
これけっこう注目を集めていました


こちらも


もうすぐ大リーグへ行ってしまうダルビッシュの雪像

ダルの雪像もっとあるかと思ったがこれだけだった


北海道新幹線と寅さん

寅さんには新幹線は似合わないよ!

2012年1月8日日曜日

あけましておめでとうございます。

久しぶりの更新になってしまいましたが、あけましておめでとうございます。
今年はまた以前のように頻繁にブログ更新できるようになれるとよいなぁと思っています。

年末年始を実家、カッパさんの実家で過ごして1月6日に雪の積もる札幌に戻ってきました。年末はまだ雪は少なかったけれど年始にどかっと雪が降ったようで、道路脇には除雪された山盛りの雪が置かれ、おかげで道路幅は狭くなり道路もびちゃびちゃです。

年末は27日に私の実家に帰省。昨年は東京に何も用事が出来なかったので1年ぶりの帰省でした。これまで私は料理だけは苦にならなかったのですが、最近料理がおっくうになってしまいほとんど料理らしいものをしていなかったので、今回の帰省では、ひたすら時間になると一そろいの食事が出てくるのが有難く、毎回「今回も食事にありつけた、有難い!」と喜んで食べていました。うー実家は有難い!
父はベターホームの料理教室で習った料理をいろいろ披露してくれました。ラーメンまで自分で打つのには驚いた!出汁もきちんと取るので美味しく、父の作る金平は私の作るものよりずっと美味しいので、レシピも教わってきました。やはり料理は出汁ですなぁ。
今年は少しずつカッパさんに料理を覚えてもらいたいです。カッパさんはうどんとか鍋の残りのおじやとか残り物の活用や「混ぜ物」は得意なんだけどね、ちょこっとした単品の野菜料理とか覚えてほしいなぁ!

30日は祖母の96歳の誕生日に、親戚中がホームにお祝いに集まり、イトコのran-chanがホームの皆さんの前で歌のコンサートをしてくれました。昨年のビッグニュースの一つはイトコのran-chan, chak-chan姉妹の電撃結婚。ran-chanのだんなさんnico-chanが音響係としてぴたっとran-chanにくっついていて幸せそうでした。1年ぶりに会った大ママ(祖母)は、ずっと寝たきりの姿でしたが、皆が集まったことを喜んでくれました。


1月1日は実家に姉家族、弟家族全員が集まる。弟のところに10月に2人目の子ども(kanae-chan)が生まれたので総勢12名。0歳、1歳、3歳、4歳児各1名と年齢の異なるちびっ子がいるのでそれぞれの成長ぶりを見るのが楽しい。お節を食べた後は、甥っ子を囲んですごろくを楽しみ、その後はトイザラス(おもちゃや)に出かけた。


母が焼いてくれたカステラしっとりしていて美味しかった



甥っ子がプレゼントしてくれた絵

1月3日は実家を発ってカッパさんの実家の仙台へ。今年は珍しく大宮から新幹線で移動。これまで高速バスで移動していたので、2人で「いやー新幹線は快適だねえ」「椅子も良くて座席も広いねえ」と新幹線の快適さを口々に褒め称える。周りの人々は「こいつらこれまでどんな移動をしていたんだ?」と不思議に思ったかもしれない(笑)。

仙台の両親に会うのは地震以来初めてのこと。実家は素人目にはほとんど無傷だが、大黒柱に一筋の長いヒビが入り、屋根の瓦が落ちたりして「半壊」の認定を受けた。綺麗好きなお父さんが家の中をきれいに片付けているので、ちょっと目には地震があったことなど分からないが、仏壇のお線香の灰が畳に落ちて畳を替えたり、2階の本棚のガラスが粉々に割れて散らばって畳を全て替えたり高齢の2人が片付けるのはいろいろ苦労があっただろうと思う。

しかし、お父さんは、相変わらず本棚の上の高いところに壷を並べたり、たくさんの油絵を高いところにかけたりしているので、また地震があったらと思うと(ちょうど私たちが泊まっている間夜中に地震があった)怖かった。


4日はお母さんのお友達宅へ挨拶周り、夜はカッパさんの高校時代の友人たちと飲み会。5日はカッパさんの希望で、お友達が車で被災地を回ってくれる。荒浜、亘理など沿岸部は一面の更地となっていて、元がどういった風景であったのか想像しにくい。時折1階部分を津波でやられた家がぽつんぽつんと建っていて痛々しい。海岸近くには津波に耐えた松が強風の中立っていた。がれきの山もあちこちに見えた。こうして実際に訪れてみると「被災地」として一括りにするのではなく、それぞれにその土地に愛着を持って生きている人たちがいたこと(いること)を考えさせられる。



6日の朝9時半のフライトで仙台空港から新千歳に戻ってくる予定だったが、新千歳の除雪が遅れたためフライトは3時間遅れで出発。家に戻った後は疲れ果ててずっと昼寝。飛行機の中でカッパさんのお母さんが持たせてくれた栗ご飯を食べる。お母さんは先月80歳を迎えた。ひざが少々悪くて、立ち上がるのもちょっと大変そうだったのに、食事作りや後片付けなど高齢のお母さんにすっかり甘えてしまった。お世話になりました。

仙台に行くと、カッパさんのお友達のお母さんが差し入れしてくれた栗ご飯や、お母さんのお友達宅でご馳走になったお雑煮、お隣のおばあさんがいつも差し入れてくれる天ぷらなどいろんな人の手料理をいただくことになるのがまた楽しかった。今年は放射性物質が気になったが、でも皆さんの手料理は変わらず美味しかった。