2013年2月28日木曜日

パパ行ってらっしゃい!

早朝5時、カッパさんがまたドイツへ出かけていきました。
先週の土曜日ドイツから戻ってきて、まだ時差ぼけも完全に治らないまま、またドイツへ出発です。
8日間私はYuriと2人で過ごします。
実は、私がYuriと2人で過ごすのは、今回が初めて(もちろんカッパさんが日中仕事に出ている間、2人というのはよくあることだが)。
子育てはだいぶ楽になったものの、この雪に包まれた札幌で2人というのは、少々心細い。
なので、2人で家の中にこもりっきりにならないよう、この間はなるべく他の人と接することができるよう、いろいろ予定を入れました。ちょうど明日は生活クラブのベビーマッサージがある!来週は知り合って間もないママ友が遊びに来てくれる!充実した1週間になる予感・・・
 
これまでYuriをお風呂に入れるのはいつもカッパさんで、私はYuriの洋服を脱がせてお風呂へ連れていき、また引き上げるという感じで2人で分担してやっていたので、一人で全てやるのは少々大変でしたが、まあなんとかなりました。
お父さんの帰りが遅く、一人で子どもをお風呂に入れているお母さんはとても多いと思う。皆よくやっているなあ。
 
子育ては一人ではできないなあとつくづく思います。 
 

大好きなカッパパパ、早く帰って来てね!

2013年2月24日日曜日

札幌に戻りました

1月30日から実家に帰省していましたが、今日また札幌に戻りました。
ドイツに出張に行ってたカッパさんも昨夜帰宅し、今日バス停で迎えてくれました。
 
実家で父が「カッパ父さんのこと忘れちゃったよなー」と何度もYuriに話しかけていましたが、Yuriはしっかりカッパ父さんのことを覚えていたようで、カッパさんが笑いかけるとにこっと笑い、カッパさんがあやすとキャッキャッ大喜び、家に帰ってからも久しぶりの3人が嬉しいのか超ご機嫌でした。カッパさん曰く「産まれてからずっと夜中も抱っこしてあやしてあげたんだから忘れるわけないよ」
 
今回の帰省は、到着してすぐにインフルエンザ、回復してからは非常勤の採点の仕事と2週間くらい何もできず、最後の1週間でようやくやりたいことができました。先生にも挨拶できたし、久しぶりにめがねも作ったし、何年も会っていなかった友人にも会えたし、産まれたばかりの赤ちゃん(michi-sanとkokin-chanの)にも会うことができました。それから、Yuriの初節句のためのお雛様も買ったのだった。会えなかった友人もいるけれど、それは次回の楽しみに取っておくことにして、大体の目的はできたのでよかったことにしよう。しかし大事なことで出来なかったことは実家の片付けだ(母が文句を言ってます・・・・)。
 
考えてみれば、ここ数年博論で気忙しく年末年始以外はほとんど帰省しなかったし、帰省しても用を済ませたらすぐに帰ったりしてゆっくり友人たちと会うということはできなかったのだ。今回の帰省は、用があるから帰るというよりは、カッパさんが出張するから帰るということで3週間とちょっとという長い期間実家で過ごしたのも久しぶりのことだった。
 
久しぶりに長く滞在した実家はちらかっていて文句を言っていたら、母に「札幌の家がきれいになっているのはカッパさんのおかげでしょ。smちゃんだけだったら汚くなっているはず。そもそもこの家を汚くしたのはsmちゃんだよ」と言われ、そうかもしれないけれど、ノートパソコンが床に直に置かれていたり、テーブルの約半分にいろんなものがおかれて使えなかったり、ベランダにシンビジウムの鉢がいくつも置かれて洗濯物を抱えて通るのが非常にやっかいだったり、しょっちゅうシャモジが行方不明になったりと、私には理解不能な不思議なことが多い家だとつくづく思ったが、でも私が大きくなった家なのであまり文句を言ってはいけないと心の中では反省した。私たち(姉と私と弟)は家を出てしまったが、両親はこの家で私たちを育ててくれてその後もずっと住み続けているのだ。ちょっとやそっと散らかっていても普通に住み続けている両親ゆえ(?)私たちが行っても非常に寛容におおらかに迎えてくれているなあと感じた。
 
父は毎日きんぴらやら切り干し大根やら料理に精を出してくれ、おかげで私は実家に滞在中一切料理をしなかった。ご飯をといだのも1、2回か?(それなのに私は毎食2杯ずつご飯を食べるので、父や母がしょっちゅうご飯を炊いてくれた)。
さらに父は毎日のようにYuriをお風呂に入れてくれ、私がインフルエンザのときはYuriを散歩に連れていってくれ、朝私が眠いのでYuriをリビングに置いて寝ている間抱っこしててくれたりした(母に赤ん坊を置いておいて自分だけ寝ている母親も珍しいと言われた)。母はいつもYuriに「Harukoば~ばのこと好きでしょ」とYuriに話しかけ、あやしてくれた。おかげで、Yuriも両親に慣れて、いつもニコニコして雄叫びを発してのびのびしていた。
 
また来月カッパさんがドイツに出張するので、実家に2週間ほど滞在します。
 

札幌は気に入っているし友人も少しずつ出来始めたけれど、仲のよい友人たちはほとんど首都圏に住んでいるし、家族も向こうなので、やっぱり東京近辺に住んだ方が皆にしょっちゅう会えてよいなあと思ったりもします。でもたぶんこれからも札幌に住み続けるんだろうなあ。
 

今夜はカッパさんがドイツで買ってきたソーセージ、
ザウワークラウト、黒パン、じゃがいもなどで食事

2013年2月20日水曜日

卒業

今日は、大学へ行って指導教官と副ゼミの先生に挨拶してきました。
私は結局学位授与式にも出席できなかったし、札幌に住んでいるため、先生とのやり取りはメールが主で、直接先生にお礼を申し上げることができないことがずっと気がかりだったのです。
先生にお会いして、博論審査と長年のご指導のお礼を直接言うことができて、これでやっと「卒業したのだ」という気持ちになりました(副ゼミの先生の「出産と博論という両方とも生み出すものをほぼ同時に成し遂げた。博論とお子さんは双子のようなもの、お子さんが大きくなったら話してあげるといいですよ」という言葉に、先生の温かなお人柄を感じて感謝の気持ちでいっぱいになりました)。

考えてみれば、私は某大学に10年半ほど(!)在籍していましたが、実質的に国立に通っていたのは、修士の1年半と、博士課程の2年少しほど。あとはベトナムにいたり、札幌にいたりしたのです。
それでも今日国立の大学通りをベビーカーを押して歩きながら(Yuriを連れていった)、ここに来ようと決意したときのことや、院生時代の思い出がよみがえってきました。こんなに長く院生生活を送ったわりには、学問的な成果はほとんどあげられなかったのですが、でも今の自分にとって欠くことのできない大切な人たち――大好きなゼミの友人や先輩、院生寮の友人、大学を超えた研究仲間、そして留学先のベトナムの先生や友人たち、調査地の人たち――に出会えたことが院生生活の一番の“成果”でしょうか。

そういえば(というとおまけのようだが)カッパさんともここで出会ったのだった。

2013年2月19日火曜日

ちっちゃいnew born baby

2月1日に産まれたばかりのmichi-sanの赤ちゃんを見に行ってきました。
(赤ちゃんはmichi-sanの3人目のお子さん、おめでとう!)

赤ちゃんを抱っこしてびっくり、こんなに小さかったの?!
Yuriも7ヶ月前はこんなに小さかったんだなあ~と思うと、この間の成長ぶりが実感できて感慨深かったです。
 

かわいいMay-kunと
Yuriの大顔は貫禄ある?
(2人は同じ学年になります。これからの成長が楽しみです)


2013年2月7日木曜日

学位記

大変長らくご無沙汰しています。
2013年も明けて早1ヶ月以上過ぎました。
1月末より実家に帰省して、さあいろいろやろうと思った途端インフルエンザにかかってしまいました。幸いYuriには移らなかったので本当によかったです(これからはインフルエンザのワクチン打たなきゃだめですね。予防接種打つようにwin min tanさんからアドバイスもらっていたのに受けなかったのが悔やまれる・・・)。今はすっかり熱も下がり咳もほとんど治まりました。
 
2012年のさまざまな思い出深き出来事は、時間のあるときにゆっくり述べることにして、今日は年明けに受け取った学位記の写真をご報告がてら載せることにします。
 
2012年11月、無事学位を取得しました。
学位授与式には結局出席せず、郵送で学位記を接受しました。
 
その学位記を手にして、いつも家で着ているトレーナーにYuriを抱っこというスタイルですが、これが私の長い長い第二の学生生活の記念すべき修了写真となりました。