2013年2月24日日曜日

札幌に戻りました

1月30日から実家に帰省していましたが、今日また札幌に戻りました。
ドイツに出張に行ってたカッパさんも昨夜帰宅し、今日バス停で迎えてくれました。
 
実家で父が「カッパ父さんのこと忘れちゃったよなー」と何度もYuriに話しかけていましたが、Yuriはしっかりカッパ父さんのことを覚えていたようで、カッパさんが笑いかけるとにこっと笑い、カッパさんがあやすとキャッキャッ大喜び、家に帰ってからも久しぶりの3人が嬉しいのか超ご機嫌でした。カッパさん曰く「産まれてからずっと夜中も抱っこしてあやしてあげたんだから忘れるわけないよ」
 
今回の帰省は、到着してすぐにインフルエンザ、回復してからは非常勤の採点の仕事と2週間くらい何もできず、最後の1週間でようやくやりたいことができました。先生にも挨拶できたし、久しぶりにめがねも作ったし、何年も会っていなかった友人にも会えたし、産まれたばかりの赤ちゃん(michi-sanとkokin-chanの)にも会うことができました。それから、Yuriの初節句のためのお雛様も買ったのだった。会えなかった友人もいるけれど、それは次回の楽しみに取っておくことにして、大体の目的はできたのでよかったことにしよう。しかし大事なことで出来なかったことは実家の片付けだ(母が文句を言ってます・・・・)。
 
考えてみれば、ここ数年博論で気忙しく年末年始以外はほとんど帰省しなかったし、帰省しても用を済ませたらすぐに帰ったりしてゆっくり友人たちと会うということはできなかったのだ。今回の帰省は、用があるから帰るというよりは、カッパさんが出張するから帰るということで3週間とちょっとという長い期間実家で過ごしたのも久しぶりのことだった。
 
久しぶりに長く滞在した実家はちらかっていて文句を言っていたら、母に「札幌の家がきれいになっているのはカッパさんのおかげでしょ。smちゃんだけだったら汚くなっているはず。そもそもこの家を汚くしたのはsmちゃんだよ」と言われ、そうかもしれないけれど、ノートパソコンが床に直に置かれていたり、テーブルの約半分にいろんなものがおかれて使えなかったり、ベランダにシンビジウムの鉢がいくつも置かれて洗濯物を抱えて通るのが非常にやっかいだったり、しょっちゅうシャモジが行方不明になったりと、私には理解不能な不思議なことが多い家だとつくづく思ったが、でも私が大きくなった家なのであまり文句を言ってはいけないと心の中では反省した。私たち(姉と私と弟)は家を出てしまったが、両親はこの家で私たちを育ててくれてその後もずっと住み続けているのだ。ちょっとやそっと散らかっていても普通に住み続けている両親ゆえ(?)私たちが行っても非常に寛容におおらかに迎えてくれているなあと感じた。
 
父は毎日きんぴらやら切り干し大根やら料理に精を出してくれ、おかげで私は実家に滞在中一切料理をしなかった。ご飯をといだのも1、2回か?(それなのに私は毎食2杯ずつご飯を食べるので、父や母がしょっちゅうご飯を炊いてくれた)。
さらに父は毎日のようにYuriをお風呂に入れてくれ、私がインフルエンザのときはYuriを散歩に連れていってくれ、朝私が眠いのでYuriをリビングに置いて寝ている間抱っこしててくれたりした(母に赤ん坊を置いておいて自分だけ寝ている母親も珍しいと言われた)。母はいつもYuriに「Harukoば~ばのこと好きでしょ」とYuriに話しかけ、あやしてくれた。おかげで、Yuriも両親に慣れて、いつもニコニコして雄叫びを発してのびのびしていた。
 
また来月カッパさんがドイツに出張するので、実家に2週間ほど滞在します。
 

札幌は気に入っているし友人も少しずつ出来始めたけれど、仲のよい友人たちはほとんど首都圏に住んでいるし、家族も向こうなので、やっぱり東京近辺に住んだ方が皆にしょっちゅう会えてよいなあと思ったりもします。でもたぶんこれからも札幌に住み続けるんだろうなあ。
 

今夜はカッパさんがドイツで買ってきたソーセージ、
ザウワークラウト、黒パン、じゃがいもなどで食事

0 件のコメント: