2010年7月23日金曜日

知里幸恵―銀の滴降る降るまわりに

銀の滴降る降るまわりに
金の滴降る降るまわりに

7月17日(土)に知里幸恵(ちりゆきえ)に関する学習会があり、北大地球環境研究科小野有五先生が講演してくださったので聴きに行きました。生活クラブで昨年アイヌ料理講習のときに知り合った理事のEさんが企画して声をかけてくださった。私はこれまで知里幸恵について名前しか知らなかったのだが、小野先生の話が興味深く2時間があっという間でした。今年9月登別に知里幸恵の記念館がオープンし、そこを訪ねるのでその前の学習会という位置づけ。

小野有五先生が講演の中で「幸恵さん幸恵さん」と熱く語ってらっしゃったが、講演の後は私も「幸恵さん」と呼びかけたいくらいになってしまった。とてもよかったのでその内容を簡単に記してみようと思う。

知里幸恵は登別のアイヌの家に生まれ、旭川で育つ。アイヌは文字を持たず(小野先生の言葉では「持とうとしなかった」)そのため叙事詩の口承伝承が盛んで、幸恵さんは、叙事詩の伝承者の大変な名人である祖母や伯母とともに育ち、家ではアイヌ語の世界にどっぷり浸かり、学校では日本語の生活を送る。幸恵さんの言語的才能は金田一京助に認められ、上京して金田一京助の家に居候してアイヌ語を金田一京助に教えたり、祖母らから伝え聞いた神謡をローマ字で書き起こし、それを日本語訳する。それが『アイヌ神謡集』として出版される(写真上。岩波文庫の「世界」文学(ピンク)に入っている、日本文学の緑ではなく)。しかし、幸恵さんは生まれつき心臓が弱く、神謡集の発刊を待たず、故郷に帰ることなく東京で19歳の若さで亡くなってしまう。

この『アイヌ神謡集』の詩の冒頭が最初に掲げた「銀のしずく・・・」である。
そしてこの『アイヌ神謡集』に幸恵さんが寄せた序文がとてもすばらしい。

その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由な天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう

その後に続く文章では、この地が急速に変わり町が開けてきて私たちの名は亡びゆくものとなっているけれど、愛する先祖が残し伝えた美しいお言葉も消え失せてしまうのはあまりに名残惜しいと書かれている。そこには和人に対する一切の非難は書かれていないが、この文章に込められた幸恵さんの願いがいかほどだったか、切々と伝わってくるものがある。

小野先生がくださった資料によると、幸恵さんは死の4日前に、自分の使命は同胞が残し伝えた文芸を書き残すこと、ただ一本のペンを資本に新事業をはじめようとしているのです、と両親へ手紙を書いている。若干19歳の決意であった。

小野先生の話は知里幸恵さんから始まり、北海道の歴史がいかに和人によるアイヌ差別、自然破壊の歴史だったか、和人がアイヌに対しサケ漁を禁止したが、米を主食としないアイヌにとっては死活問題だったこと、遡上する鮭を食べる島ふくろうの話などなさって「皆北海道に来て自然が豊かだというが、これはずいぶんと破壊された後の自然。昔は森と川だけであったのが開拓されて畑に変わっていった」ということもおっしゃっていた。小野先生の専門は自然地理のようで、以前は氷河の研究をなさっていたという。だがあるとき「あなたは人よりも多く勉強してきて、あなたの言うことだったら皆が聞く立場にあるのになぜやらないの?」と絶滅危惧種である島ふくろうの保全運動をしている人に言われ、「はいやります」と言ったという(8月22日追記:これは島ふくろうの保全運動をしている人に言われたのではなく、小野先生が島ふくろうの目をじっと見ていたら、島ふくろうがそのように語りかけてきたように聞こえたという話だった。後からカッパさんに指摘されたのでここに訂正します)。知里幸恵のことも多くの人に知ってもらいたいとこういう活動をなさっている。

私は偶然今年の5月に小野先生に会っていた。5月の週末、大通り公園で開かれていたアースデイEZOという環境に関するイベントがあってたまたま近くを通ったので歩いていたら、いきなりあるテントの中の人から話しかけられ、名寄のサンル川やヤマベ、黒真珠の生態の話をしてくださって、ダムを作る計画があるが、ダムは本当に必要なのかなど、教え子が書いたというとてもきれいな冊子で説明してくださった。それが小野先生だった。小野先生のことを名寄からいらした高校の先生かと思い「地元からいらっしゃったんですか?」と聞いたら、実は北大の先生だという。「世界にたったひとつのサンル川を見にいこう」というツアーまで組まれ、そのガイドまでなさっているというから驚いた。まさに最前線で行動なさっている。

カッパさんも一緒に講演を聴きにいったが、知里幸恵についてもさることながら、研究者が自分の学んだことをどう社会に還元するか、という点で小野先生にも大いに刺激を受けたようだった。サンル川のツアーは7月24、25だったから今頃小野先生はサンル川を案内なさっていることだろう。小野先生は毎週のようにこうして活動でどこかに出かけられているそうだ。私はあぁ、こういう活動を地域研究者こそ行うべきではないのか・・・と思った。
知里幸恵、そして小野先生、心に残るお2人に会えた土曜の午後でした。

=7月10日(土)のごはん=
*おかゆ
*かぶのおみおつけ
*きゅうりとみょうがの塩もみ
*蒸しナス
カッパさんにはぶりの照り焼きをつけた
胃の調子がよくなかったので、次の日のホテルドロームに備え
おかゆにした(しかし肝心のドロームは少々期待外れであった)


=7月20日(火)のごはん=
*マーボー大根
*切り干し大根と人参の煮物
*大根ときゅうり、茹で鶏のサラダ
*春雨とゆで鶏のスープ


=7月21日(水)のごはん=
*サバの塩焼き、インゲン、ミニトマト添え
*ラーメンサラダ
*冷奴
*大根の味噌汁
*白米
ラーメンは生活クラブの生ラーメン、初めて買いました。
トッピングは肉味噌、トマト、きゅうり、白髪ねぎ
たれは醤油、お酢、ごま油、すりゴマ、顆粒の鳥がらスープなどで適当に
喉越しするするでとまらない美味しさだった


=7月21日(木)のごはん=
*イカハンバーグ(小ねぎ、コーン入り)
ブロッコリー、ミニトマト、いんげん炒め添え
*イカのお刺身
*長いもの青海苔かけ
*豆腐となめこの味噌汁
*白米

イカの季節になり、背中が茶色く光った朝獲れのイカが
スーパーに並んでいる。
去年まではイカを前にオロオロするだけだったが
昨年の「おさかなマスターズ」の講習以来なんとかイカがさばけるようになった
魚料理を教えてくれた先生と、講習を開いてくださった生活クラブの方々に
改めて感謝で一杯
イカ2杯は1杯はお刺身にして、もう1杯と残りのゲソはハンバーグにしました。
イカ美味しい!!


=7月16日(金)=のごはん
*そいの煮付け、白髪ねぎ、ピーマン炒め添え
(そいはこちらに来てから知った魚。白身魚だが適度に脂がのっていて
肉の厚さもちょうどよい。煮付けにすると美味しくてとても好きな魚。
一匹100-200円で安い)
*大根とツナのサラダ
*にんじんとグリーンピース
*大根と油揚げのおみおつけ
*玄米

土曜日は知里幸恵講演会の行き帰りに北大でジンギスカンの臭いをかいだら
どうしても肉が食べたくなり「肉にくニグー」と叫びながら
北24条駅近くの繁盛している焼き鳥屋さんに行った


=7月18日(日)のごはん=
*サバの塩焼き、大根おろし
*ブロッコリーと鶏肉のエシャロット炒め
(エシャロットが余っていたのでみじん切りにして炒めたら香りよくできた)
*にんじんとごぼうの金平
*大根と油揚げのおみおつけ
*玄米

2 件のコメント:

fine さんのコメント...

この知里幸恵さんのことは、どこかで読んだ気がする。
横井久美子さんが、今度の10月のコンサートで知里幸恵さんの歌を歌うみたい。
smちゃんのブログを横井さんに読んでもらおうと思って、コピーしました。

smk さんのコメント...

そうそう、知里幸恵さんのことは以前横井さんも書いていたよ。横井さんはNHKの番組で知って感動したみたいだよ。