2011年3月31日木曜日

震災で変わったこと変わらないこと

今日で3月も最後。この3月は何だったんだろう・・・今も朝起きるたびに「全ては夢で現実の世界は原発事故とか地震とか津波とかなかったんだ、あー元の世界に戻れてよかった。ほっ」てなれないかなあと念じてしまいます。

とはいえ、北海道に住む私たちは表面上は震災前と変わらぬ生活ができている。停電はなく、スーパーに行けば豊富に物はあるし、料理にミネラルウォーターを使うことも今のところはない。私は朝起きると窓をあけて西に連なる山々に目をやり、おいしい空気を吸い込む。朝ごはんを食べお弁当を持って自転車で北大図書館へ行き、帰って夕飯を作って食べてお風呂に入って寝る。生ごみが出れば段ピー君(ダンボールコンポスト)に食べさせ、カッパさんは北側の部屋の壁についたかびを一生懸命取っている。雪が溶けて暖かくなってきたので、冬の間部屋干ししていた洗濯物も外に干せるようになった。3日に一度の洗濯、1週間に一度の部屋の掃除のルーティーンも変わらず。震災が起こったからといって、博論を提出するという課題は変わることはなく(というか、刻々と時間は少なくなりつつあるので課題は日増しにより大きな課題として迫ってきている)、博論後にやりたい仕事やその後の生活についての希望も変わることはない。私たちが一生札幌で暮らすのか、いつかどこか別の土地に移るのかは今の時点ではわからないが、これからも私はカッパさんと離婚しない限りカッパさんと暮らしていくだろう。

一方震災によって大きく変わったこともある。これまで料理本を夜寝る前に読んだり、明日は何を作ろうかと料理のことを考えるのが楽しみだったが、今は料理のことを考えるのが悲しく、料理をする意欲が萎えてしまった。スーパーに1週間に2回くらい図書館の帰りに寄るのもよい気晴らしだったが、今はスーパーに並ぶ野菜や魚たちに疑いのまなざしを投げかけて選別してしまうのが悲しい。カッパさんも「これまでは値段を第一に見ていたが今は産地を一番に見てしまう。九州産が輝いて見える」と言っていた。これが消費者の偽ざる気持ちではないだろうか。風評被害だと責める声をよく聞くが、実際に放射性物質が降っているのだから、根も葉もある事実である。それと同時に、これまで当たり前のように日々手にとって口にする野菜や魚にどんなに大きなエネルギーをもらっていたのかと改めて思う。

これまで石油ファンヒーターなどすぐにいろんなもののコンセントを抜くカッパさんを、私は「カッパさんはすぐにコンセントを抜く」と文句を言っていたが、震災後は、自分から積極的に抜くようになった。私がベトナムに行ったりしてカッパさんが一人暮らしをすると電気代やガス代はわずか(ガス代なんて私がいるときの10分の1!)だが、私と一緒に暮らすと電気代もガス代も跳ね上がる。湯水のようにエネルギーを使う自分には反原発を言う資格がないのだということを原発事故が起こって数日後これまでの光熱費の領収書をまとめながら考えた。北海道では電力の約4割を原発に依存している。札幌から65キロ離れた泊原発は、2年前に訪れた積丹半島の西側の付け根に位置する。北電は昨日、2012年に始動予定のプルサーマル計画に変更なしと発表した。

原発事故が起こってから1週間くらいは下痢や不眠、食欲不振に悩まされたが、それはこれまで電気をのうのうと使いながら原発の問題に目を背けていた都会人の原発アレルギーそのものだったなと思う。原発事故の可能性は前から指摘されていたし、具体的にシミュレーションしてくれていた人たちもいたし、原発そのものが恒常的にヒバクシャを生み出すものであることを数少なくない本が指摘してくれていた。問題はずっとそこにあったものなのだが、私には見えなかったというより見ようとしなかったということなのだろう。そして今この瞬間にもこちらは変わらぬ生活を送りながら、福島原発でヒバクする人を生み出しているという重すぎる事実を、同じ時代に生を受けている人間としてどう受け止めればよいのか、「感謝」「尊敬」「敬意を表する」「誇りに思う」どれも違う気がして、私には正直なところよくわからない。

昨日夜ご飯を食べながらカッパさんに「カッパさんは明日でこの世が終わるとわかっていても、変わらず過ごしそうだね」と話しかけたらカッパさんも「そうだね」と言っていた。カッパさんは、もし明日でこの世が終わりと知っていても、きっとおコメをといでたっぷり浸水させて音楽を聴きながらフムフムうなずきながらご飯をばくばく食べるだろう。ズボンの下にズボン下3枚くらい重ねて雪だるまのように着膨れしながらカビを拭いたり炊いたご飯をラップに包んだりしているだろう。カッパさんが「どうしてこんなことになってしまったんだろう」なんて言葉をつぶやいても、どこかのんきで重大さが伝わってこなくてユーモラスですらある。そういえば、仙台にいるカッパさんのお母さんも、決して嘆いたりすることなく淡々と過ごしていそうだ。

震災前と震災後で何がどのように変わったかと考えてみたらこのようにいえそう。自分の課題や目指す方向は震災前と変わらない。でも今回の経験でこれから目指したいエネルギーの形や社会のあり方、人との結びつき(北海道に友達ほしいなとか)がよりくっきりとはっきりとした。だから、それを実現するために、明日からの日々を過ごしていこうと思う。

=3月24日(水)25日(木)のごはん=

*ベトナム風鍋(餃子入り)

=3月26日(土)のごはん=

*餃子

*スナップえんどう

*じゃがいもとわかめのおみおつけ

*白米

=3月27日(日)のごはん=

*豚肉のにんにくこんがり焼き、レタスとかいわれ添え

*じゃがいもとわかめのおみおつけ

*白米


おみおつけによく使う生活クラブのわかめは三陸海岸産のもの。

わかめの会社は福島県いわき市にあるが、製造元の会社は

地震で甚大な被害を受けた宮城県志津川で連絡が取れない状況だそう。

わかめは4月も注文していたが供給中止になった。

ここのわかめも、にぼしも、かつおぶしもとてもよかった。

製造元の会社の方々が皆無事でおられるようお祈りしている。

時間がかかっても、またここのわかめやにぼしが食べたいなあ。

=3月28日(月)のごはん=

*豚の角煮、ゆでたまご、青梗菜添え

*やまと芋と海草のサラダ

*じゃがいものおみおつけ

*白米

=3月29日(火)のごはん=

*そいの煮付け、ごぼうとピーマン

*春雨としいたけのスープ

*ごはん

=昨夜のごはん=

*ポークビーンズ

*ゆでブロッコリーとミニトマト、カッパさんがドイツでお友達にもらったという

超濃厚なチーズをつけて食べました。

*パン

=今夜のごはん=

*鮭とブロッコリーのクリームパスタ

*温野菜とチーズ

4 件のコメント:

win min tan さんのコメント...

3月26日の夕食、思わず笑っちゃいました。自分のところのかと思っちゃった。smちゃんらしくないよね、この品数。元気出して! 明日、死ぬわけじゃないんだから。

うちは畑のほうれん草、もりもり食べてます。畑、安全保障の一貫として、これからも続けていくつもり。ハハハ

smk さんのコメント...

3月26日はカッパさんが珍しく飲み会でいなかったので、私一人だったのよ。
献立を見て
「今のあなたにはエネルギーが不足しています」とかって献立占いができそうだよね。

>うちは畑のほうれん草、もりもり食べてます。

大爆笑!やっぱり、ミームへの絶大なる信頼所以でしょうか。

私もwin min tanさんのようにおおらかになったほうがよいんだろうなあと思いながらも、今回の件では測定の針がビーンと振り切れるように神経質になってしまうのよね。カッパさんもぎゃーぎゃー騒いでいる私に振り回されて少々お疲れ気味。

>畑、安全保障の一貫として、これからも続けていくつもり。ハハハ

これからは、自分が食べるものは自分で作らないと確保が難しくなる、そんな時代になるのかもしれないね。私も冬の間は、部屋の中で菜っ葉でも植えようかなあ。

win min tan さんのコメント...

鮭とブロッコリーのクリームパスタ、おいしそう。シソンの牛乳が解禁になったので、クリーム系もこれから作りたいな。レシピある?

smk さんのコメント...

遅くなってごめんね。

鮭とブロッコリーのクリームパスタおいしかったよ!作り方載せるね。