2011年3月26日土曜日

復興したら花嫁を & 放射能による食品汚染2

今朝の新聞の「被災者の声」欄に、福島県の37歳男性の方が「一人暮らしなので復興したら花嫁をさがしたいですね」とあって思わず笑ってしてしまった。「結婚相手」じゃなくて「花嫁」と言うのがロマンチックな響きでよかった!自宅は崩壊寸前で避難所生活を送っておられる中で、未来の花嫁との出会いを夢見ている彼に、明るい希望をもらいました。写真を見るととてもやさしそうな方、よい出会いがありますように。 希望の持てる話の後に、また放射能の話で申し訳ないのだが、昨日の続きを。あまり神経質すぎるのもよくないし、もちろん風評被害を広げようという意図は毛頭ないが、こうして本の内容を紹介することによって、少しでも多くの人が過去の経験から学び未来の被害を減らすことも、前向きな生き方なのだと信じている。私の友人には小さいお子さんを持つ人が多いので、それもここにアップする理由。 高木仁三郎+渡辺美紀子 『食卓にあがった死の灰』講談社現代新書、1990年より ・(日本でチェルノブイリ級の事故が起こったらと仮定して)避難の次にくるべき心配の種は、飲料水の汚染である。雨水の汚染が河川を汚し、その汚れが上水道に入ってくるわけだが、ふつうの都市の水道用浄水場ではなかなかヨウ素の汚染が除去されないと考えるべきだろう。あるデータによると、飲用の水系が汚れた場合、50パーセント以上のヨウ素が浄化系をくぐり抜けて水道水に入ってきたという。ヨウ素以外のセシウムやストロンチウムなど、金属イオンの形で水の中に存在する放射能は、通常の浄化系ではいっそう除去しにくいはずだが、チェルノブイリの経験だと、セシウムは地表下数センチのところまでの地層吸着が強く、意外に雨水→河川→水道水のルートでの汚染は少なかったことは注目に値する。p. 181 ・初期のヨウ素による汚染物は口にしないようにするしか手がなさそうだ。葉菜は洗って食べるとか、飲料水は煮沸するとよいと書かれた手引書もある。確かに汚染した直後の葉菜は、洗浄による除染効果が何十パーセントか期待できるようだ。しかし、さまざまな経験・見聞を総合して一般に洗浄や煮沸の効果にあまり大きな期待はできない、というのが私たちの見解だ。p. 184-185 ・初期のヨウ素の強い汚染をどうにかくぐり抜けた後は、持続的なセシウムの汚染にずっと悩まされることになる。その後の汚染の変化のパターンは、以下のとおり。 <葉菜類>初期の汚染がひどいが、風雨による除去効果、葉の生長などで、濃度は比較的はやい速度で減っていく。その後は、土壌中のセシウムを根から吸収することによる汚染が長いこと残存するが、葉菜類などではそれほど高いレベルではないだろう。 <果実など>果物やナッツ類などでは、当初葉や果実の表面に沈降するセシウムの強い汚染を受ける。この汚染が果実の内部に取り込まれるから、風下にあたる所では初期に何千から何万ベクレルという汚染が広い範囲で検出されるだろう。この葉などの表面からの取り込み分は、時間がたつとやや足早に減っていくが、次第に根からの吸収による汚染が増えだす。 <根菜と穀類>当初の葉の汚染の影響は小さいと考えられるから、事故がたとえば収穫期だったとしたら、大きな影響は受けないだろう。根菜や穀類の場合、セシウム汚染は根からジワジワとやってくる。その根からの取り込みも、根菜類ではそう大きくないが、穀類ではかなり大きく、事故の翌年も土壌の汚染が持続する関係で、相当に強い汚染が残るだろう。 <牛乳・乳製品・肉類>牛乳や牛肉など、牧草の影響を受けるものは、初期から汚染の影響を受けるが、時間がたつと牧草が生え変わったり生育したりで、汚染の影響はやわらぐ。しかし、その後から根からの吸収があるので、数年の間、牛乳・肉などの汚染は顕著であろう。冬期には干草やコケ類の食用の関係で、事故から相当の時間がたった後で汚染が増えだす例があるから要注意である。 ・日本人の1日の平均献立を立ててみて、①特別の選択なしに飲食し、②ただし汚染はとりあえずセシウムだけと考え、セシウム137対セシウム134の比率を10対3とし、③汚染の強いものは流通が禁止されその10分の1程度の濃度のものは出回るとする、という仮定をたて、単純化したモデルだが、事故後1年間のセシウム摂取量を計算すると、1年間の食品による被曝値は6.4ミリシーベルト、摂取したセシウム量は42万ベクレルである。これは原発からさして近くも遠くもない人々がふつうに食生活を送った場合の値である。6ミリシーベルトと聞くと、案外たいしたことはない、と思うかもしれない。しかしそれは一般人の年間の線量限度の6倍以上にもあたり、最近の低レベル放射線の影響評価に即して考えれば、それだけで日本全体でおよそ10万人近いがん死者をもたらすかもしれない。p. 189-192 ・考えなくてはならないのは農民の被爆で、汚染した地域の生産物への食生活上の依存度が高くなること、汚染した土壌や干草を取扱ながら作業をせざるを得ないことから、被曝量は一般人の3-5倍にも達するのではないだろうか。とにかく、原発事故と農業は共存しえない。p. 198 以上が日本での原発事故の仮定以下はまたチェルノブイリの振り返り ・西ドイツの報道などをみても、汚染の強かった乳製品や肉などが単純に廃棄されたわけではなく、うすめられて他の加工品に入ったり、また、基準や検査の厳しくない国に輸出されたり、というケースがけっこう多かったようだ。私たちは消費者の側から、この種のやり方を一方的に批判しがちだが、生産者たちが苦労して育てた作物や家畜を簡単に廃棄処分にするにはしのびない、という気持ちは、よくわかるような気がする。そういう意味で、370であれ、37であれ、10であれ、あまり数字にだけこだわってはいけないだろう。何ベクレルという前に、チェルノブイリの汚染で、濃淡はあれ、この世界がなべて汚染に見舞われてしまったという事実、したがって、たとえ「基準値」以下にせよ、私たちのすべてが、その共通の汚染に見舞われた地球のもとで必死に共に生き続けようとしている存在なのだということを忘れてはいけないだろう。自分だけ、基準値以下のものを手にできれば、というような発想では、とてもやっていけそうにない。p. 210-211 ←この本の中で私が一番心に残ったのはこの部分でした。著者の人間性、全ての命に価値があるという姿勢がよく表れていると思います。 ・チェルノブイリの事故の際のヨーロッパの人たちの経験でも、知識のなさから来る恐怖とパニックが最も危険なことだとったという。一口にいえば、原発問題の基本を身近なこととして身につけている、ということだろう。みんなが原発の至近距離=地元に住んでいるという意識が必要だ。特に、しごく当たり前のことは1)原発事故や主な放射能の種類のその基本的性質についての理解2)事故炉についての基本的知識とその距離3)事故の規模と経過についての迅速な情報4)風向き、風速その他の気象条件 ・ヨーロッパに行く機会に、食品の放射能汚染によって生産者と消費者の関係には溝が入らなかったのか、という点について聞いてみたら、向こうの人たちの反応は「そういう環境の危機の時こそ、生産者と消費者が団結して、もっともお互いに納得できる方法を話し合っていかなくては」ということだ。かえって、生産者と消費者の間の団結は強まったと言ってました。p. 237 ・取材を通して痛感したのは、ひとつの工場の事故が、世界中の食卓の上に汚染物を降り注ぐ。これはなんとも野蛮で暴力的な世界に私たちが住んでいるということではないだろうか。とてもクリーンどころではない。原発か火力か、放射能か炭酸ガスか、というようなところで選ばされてはたまらないと思うのです。もっと賢明で有効なエネルギーの使い方やつくり方を考える方向に関心や努力を向けないで「背と尻か」の選択の話ばかりやっているんですからね。p. 239-240 とりあえずこれで引用終わりです。

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