2009年2月4日水曜日

キューバ映画「低開発の記憶」を観にいく


ベランダから札幌の西側を眺める
























今朝は家のベランダからとてもきれいな山が見えました。
目の前の建物で隠れてしまってちょっと残念・・・。
札幌って山が近くて、お天気の日に札幌の町を歩いていると向こう側にとてもきれいな
山が見えて感動するのですね。

さて、昨日は「低開発の記憶」というキューバ映画を観てきました。
今札幌でキューバ映画祭をやっているので。

キューバ革命後のハバナが舞台。妻や両親が北(アメリカ)へ亡命する中、一人ハバナに残る資産家の男性。社会主義革命後も財産没収まで12年あるために、働かずに小説を書きたいと思いながら家賃収入で暮らす。この男性(38歳)のモノローグや記憶、妄想、がヌーベルバーグ的に語られる。
この男性の独白がなんともいえず面白かったです。

「(亡命した妻に対して)働くがいいさ。まだ魅力はある。再婚できる男性を見つければ楽しく暮らせるだろう。・・・せっかく都会的な女性に仕立て上げたのに」

「(亡命する親友に対して)彼は私自身の一部だ。だから会えなくなってせいせいする」

「キューバ女の美は30-35歳をピークに急速に衰える。まるで腐った果実のようだ」

「私は38歳にして老人だ。13歳で売春宿に通い、25歳で高級家具店オーナー、38歳の私は既に老人だ。腐った果実のように」

「彼女は情緒不安定で経験や知識を重ねていくことができない。気分がころころ変わり一貫性がない。まさに「低開発」な状況だ」

知り合った若い女性(16歳)と肉体関係を結び、彼女を知的で都会的な女性に仕立てようと試みるが、彼女は興味を示さない。彼女は彼が言うキューバの「低開発」の象徴。
彼自身は西欧人を目指すブルジョワ。
キューバの知識人が「低開発」という言葉を使ってシンポジウムを開いているのを冷めた目で見たり、映画は「低開発」なキューバの状況を辛らつに見ながら、一方で「低開発」という言葉をさも知ったように使い、その上に胡坐をかいている知識人たちの迫り来る崩壊をも描いている。この映画がどういう立場の人によって作られたものであれ、こんな映画が革命後にキューバで作られたことは、うーん、大人ー、文化が成熟しているなぁーって思う。こんなところが私が中南米の国に惹かれる所以なのかも。まあひとくくりには出来ませんがね。
さてさて、映画も終わり、7時過ぎに帰って急いでごはんの用意をする。が、カッパさんがごはんのスイッチを入れ忘れていたことに途中で気づき、ごはんができるまで待ちぼうけ。カッパさんは自分のミスを相殺してもらおうと、普段いかに気づかない部分で家事をやっているかを強調する(笑)。

=昨日のごはん=
*いわしの梅煮
*ほうれんそうのしめじ和え
*はんぺんのわさびおろし和え
*温泉卵(のはずが、単なるゆで卵になってしまいました、、、へへへ)
*大根の葉と油揚げ、ネギのおみおつけ
*ビール

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